おお スザンナ 歌詞。 おおブレネリ 歌詞の謎

オー・スザンナ(歌詞): フォーク・ミュージック & フォーク・ダンス

おお スザンナ 歌詞

作詞は元大阪YMCA主事の松田稔 『おおブレネリ』の作詞者(訳詩者)は、元大阪YMCA主事で日本リクリエーション協会の会長を務めていた松田稔氏。 終戦後の1949(昭和24)年頃に作詞されたという。 同氏による訳詞は次のとおり。 1. おおブレネリ あなたのおうちはどこ わたしのおうちは スイッツァランドよ きれいな湖水(こすい)の ほとりなのよ <コーラス> ヤッホ ホトゥラララ (5回繰り返し) ヤッホ ホトゥラララ ヤッホホ 2. おおブレネリ あなたの仕事はなに わたしの仕事は 羊飼いよ おおかみ出るので こわいのよ <コーラス> これらの歌詞が、日本でも最も一般的な『おおブレネリ』の歌詞であろう。 なお、「スイッツァランド」とは、言うまでもなく「スイス」の意味。 ちなみに、次のような2番の歌詞も存在するようだ(松田稔氏との関係性は不明)。 2. おおブレネリ あなたの心はどこ わたしの心は 山のかなた なつかしふるさと スイッツァランドよ 替え歌「フォートランの歌」 余談だが、一部の『おおブレネリ』の替え歌では、「ヤッホー ホトゥラララ」の部分を、IBMが考案したプログラミング言語FORTRAN(フォートラン)を引き合いに出して、「ヤッホ フォートランランラン」と歌う「フォートランの歌」として広まっているようだ。 おおブレネリ あなたの言語はなに 私の言語はフォートランよ 数値計算が得意なのよ ヤッホ フォートランランラン ヤッホ フォートランランラン (以下略) 3番と4番の歌詞があった? さて、『おおブレネリ』についてある程度調べていくと、どうやら歌詞は1番・2番だけではなく、東大音感合唱研究会が「追訳詞」したとされる3番と4番があることが分かってくる。 さっそくその追訳された歌詞を見てみよう。 hi-ho. htm (rel属性でno followつけてリンクしとこうか) 3. おおブレネリ 私の腕をごらん 明るいスイスを 作るため オオカミ必ず 追い払う <コーラス> 4. おおブレネリ ごらんよ スイッツランドを 自由を求めて 立ち上がる たくましいみんなの 足取りよ <コーラス> この追訳詞を見ると、朗らかで陽気な1番・2番の歌詞とは一転して、何かを暗示しているような若干シリアスな内容となっており、特に4番だけみると軍歌のような勇ましさすら感じられる。 元大阪YMCA主事の松田稔氏は、北米YMCAからの派遣主事R. ダーギン(Russel. Durgin)からレクリエーションの指導を受けており、ダーギン氏からもらった歌集に『おおブレネリ』のアメリカ版の歌詞が掲載されていたそうだ。 (吉田明弘著「Historian's View No. 10」参照) もしかしたらこのアメリカ版の歌詞が、東大音感「追訳詞」3番・4番のオリジナルなのだろうか?さっそく見てみよう。 アメリカ版『おおブレネリ』の歌詞 この英語の歌詞が、果たして松田稔氏が北米YMCAのR. ダーギン氏からもらった歌集に乗っていた『おおブレネリ』の英語版の歌詞と同一であるかは不明だが、とりあえずネット上で確認できた代表的な英語の歌詞は次のとおり。 O Vreneli, my pretty one, pray tell me, where's your home? "My home it is in Switzerland, It's made of wood and stone. " Yo ho ho, tra la la la... おおブレネリ(フレネリ)可愛い娘 君の家はどこ? 「私の家はスイスにあるの。 木と石で出来ているのよ」 2. O Vreneli, my pretty one, pray tell me, where's your heart? "O that," she said, "I gave away, But still I feel it smart. " おおブレネリ 可愛い娘 君の心(感情)はどこ? 「ああそれは」彼女は言った 「あげちゃったわ。 でもまたうずくの」 3. O Vreneli, my pretty one, pray tell me, where's your head? "My head I also gave away, It's with my heart," she said. おおブレネリ 可愛い娘 君の頭(知性)はどこ? 「それもあげちゃったわ。 心(感情)と一緒にね。 」 松田稔氏が訳したのは1番のみ? この英語の歌詞を見る限り、アメリカ版『おおブレネリ』は(一般的に)3番までしか歌詞が存在しないように見える。 しかも日本語版と内容が似ているのは1番のみ。 2番以降はマザーグースのようなナンセンスさが感じられる。 正直ちょっと怖い内容の歌詞だ。 この点、上述の参考文献(吉田明弘著「Historian's View No. 10」)でも、松田稔氏がダーギン氏からもらった歌集には歌詞が3番まで載っていたとされており、松田稔氏は最初に「1番のみ」を訳したと記述されている。 おそらく日本語版『おおブレネリ』における2番の歌詞は、アメリカ版の歌詞を参照することなく、YMCAのレクリエーションソングとして相応しい日本オリジナルの歌詞がつけられたのではないかと推測しうる。 3番と4番も日本オリジナル? さらに、東大音感合唱研究会が「追訳詞」したとされる3番と4番の歌詞については、2番の日本オリジナルのストーリを若干延長する形で翻案された、東大音感オリジナルの歌詞なのではないかと推測される。 2番も東大音感作とする解説もあるようだが詳細は不明。 この辺の事情については、当の東大音感合唱研究会に照会でもかければ、ある程度の手掛かりはつかめるかもしれないが、本稿ではここまでとしておく。 スイスの軍人が作詞したオリジナルとは? 発祥地のスイスにおける『おおブレネリ』オリジナルの歌詞については、こちらのページに掲載されていたものを引用したい。 タイトル:『O Meiteli, liebs Meiteli』 O meiteli, liebs Meiteli, wo hesch au du dis Hei? "Es liid im liebe Schwyzerland und ist vo Holz unt Stei, Wenn's waetteret, wenn's broenneret, so schlods bi eus nid i, Es mueesst au gar e boese Sturm, es Grebelwaetter si! " Di-ri-ril-lel-lal-lal-la... O Meiteli, liebs Meiteli, wo hesch au dis Haerz? "Es ist mir huett abhande cho, i gspuere no de Schmaerz. Si hend pfifelet, hand truemmelet und's Schwyzerfaehndli gshwaenkt, do ha-n-is der erste Freud im Traengtrommpeter gschaenkt. " Di-ri-ril-lel-lal-lal-la... O Meiteli, liebs Meiteli, wo hesch au di Verstand? "Dae ha-n-i au zum Haerzli gae, 's gohd bedes mieteinand. Und chond er nid und will er nid, so isschs am Aend jo gliich. Und gib i ke Soldatefrau, huerote tue-n-i gliich. " Di-ri-ril-lel-lal-lal-la... アメリカ版と同じく歌詞は3番まで。 その内容もアメリカ版と大筋で一致する類似性の高いストーリーが描写されている。 このスイス・オリジナル版『おおブレネリ』は、軍人で詩人でもあったツィベリ(Zyboeri)が、当時存在していた何らかの曲のメロディに作詞をして1910年に出版したものだという。 これがアメリカに伝わる際、「meiteli」がスイスの女性名フレニ「Vreni」の愛称フレネリ「Vreneli」に改められたのではないかとされている。 東大音感が追訳詞したとされる3番・4番の歌詞の内容は、このスイス・オリジナル版にはまったく現れていないようだった。 やはり日本語版の3番・4番の歌詞は、日本完全オリジナルの歌詞である可能性が高そうだ。 余談:ブレネ湖について 『おおブレネリ O Vreneli』の「ブレネ」に関連して、スイスのブレネ湖に言及する解説がネット上で若干見られたので、果たしでどんなつながりがあるのか少し調べてみた。 その湖とは、フランスに近いスイス西部のヌーシャテル州ル・ロックル Le Locle 群にあるブレネ湖。 スペルは「Lac des Brenets」。 横幅1kmほどの細長い小さな湖のようだ。 カタカナで表記すれば、「ブレネリ」も「ブレネ湖」も同じ「ブレネ」だが、現地のスペルはご覧のとおり異なっている。 他にもブレネ湖があれば別だが、おそらくこのブレネ湖(Lac des Brenets)と『おおブレネリ O Vreneli』の関連性はそれほど高くはないと思われる。 童謡の謎に迫る! ドナドナ研究室 当サイトのネタ的研究ページ「」では、この『おおブレネリ』のような日本の童謡の謎をあれこれ深く掘り下げる記事をまとめて掲載している。 童謡謎解きにご興味のある方は是非お立ち寄りいただきたい。 関連ページ ルーツはドイツ語?ヨーデル?それともヘブライ語? 『おおブレネリ』、『ホルディリディア』、『ヨーデル食べ放題』など、有名なスイス民謡・ヨーデルまとめ アメイジング・グレイス、森のくまさん、グリーン・グリーン、ドナドナなど、日本でも有名な世界の名曲にまつわる面白エピソードや原曲のルーツ・謎に迫る研究ページ.

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Oh! Susanna (ああ!スザンナ) の歌詞

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草競馬 Camptown Races フォスター歌曲/キャンプタウンの女達が歌ってる ドゥーダー! 「草競馬(Camptown Races)」は、19世紀の音楽家フォスターが24歳(1850年)頃に作曲したアメリカ歌曲。 の大ヒットから数年後の曲で、にも歌われている。 原曲のタイトルの「Camptown(キャンプタウン)」とは、19世紀半ばの西部開拓時代のアメリカで、大陸横断鉄道の建設会社が一時的な生活の場として設営したテント村のことを指す。 フォスター自身もペンシルバニアでキャンプタウンを実際に目にし、そこで開かれていた競馬のレース曲想を得たと思われる。 歌詞には黒人英語(エボニクス/Ebonics)が多用されている。 De Camptown ladies sing dis song, Doo-dah! doo-dah! De Camptown racetrack five miles long, Oh! doo-dah-day! キャンプタウンの女達が歌ってる ドゥーダー!ドゥーダー! レーストラックは5マイル オー!ドゥーダーデイ! I come down dah wid my hat caved in, Doo-dah! doo-dah! I go back home wid a pock-et full of tin, Oh! doo-dah-day! オイラは帽子をへこませて ドゥーダー!ドゥーダー! ポケットいっぱいの小銭を持ち帰る オー!ドゥーダーデイ! chorus Gwin to run all night! Gwin to run all day! I'll bet my mon-ey on de bob-tail nag, Somebody bet on de bay. <コーラス> 一晩中走れ!一日中走れ! オイラはボブテイルに賭けるんだ 栗毛馬に賭ける奴もいる 関連ページ 『おおスザンナ』、『懐かしきケンタッキーの我が家』、『金髪のジェニー』、『夢路より』など、19世紀アメリカで活躍した音楽家スティーブン・フォスター名曲集 『トロイカ』、『おうまはみんな』、『魔王(シューベルト)』など、馬に関する日本の民謡・童謡・世界の歌まとめ。 『アメイジング・グレイス』、『森のくまさん』、『峠の我が家』、『オーラリー』など、日本でも有名なアメリカ民謡・歌曲特集。

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おおスザンナ

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背景 [ ] 1846年、スティーブン・フォスターはのに引っ越し、兄の会社の簿記係を務めた。 シンシナティにいる間に、フォスターはおそらく所属する社交クラブのために「おおスザンナ」を書いた。 この歌は、1847年9月11日にので、地元ののコンサートで最初に披露された。 1848年にの W. ピータース社より、最初に出版された。 他のの一座もこの歌を演奏するようになったが、多くは自分自身の名前でこの歌を勝手に著作権登録しており、1848年2月25日から1851年2月14日までの間に21回も登録・出版が行われている。 フォスターはこの歌で 100ドル(2012年のドルに換算すると 2,653ドル)しか稼げなかったが 、ファース・ポンド社と楽譜1部につき 2セントの印税率で契約し 、アメリカで最初のプロのソングライターになった。 この曲名は、フォスターの亡くなった姉シャーロット(ミドルネームはスザンナ)からとられた可能性が指摘されている。 音楽 [ ] 「おおスザンナ」(の演奏) この音声や映像がうまく視聴できない場合は、をご覧ください。 この歌は、様々な伝統音楽が混ぜ合わさっている。 アフリカ起源の楽器であるで始まり、歌はちょうどその頃ヨーロッパからアメリカに伝わったのビートを取り入れている。 グレン・ワズナー曰く、この歌は既存の歌「アラバマのバラ」(1846年)に影響を受けていて、詞や音楽に似ている部分があるとしている。 メロディーの最初の2回のはである。 最初のバースは「出発した日は1日中雨だったけど乾燥していて、今は太陽はとても暑いけど死ぬほど寒い」 It rain'd all night the day I left, The weather it was dry, The sun so hot I froze to death... 、2度目のバースは「息を止めるために目を閉じた」 I shut my eyes to hold my breath... とある。 また、2度目のバースには「電流をあげて500人のを殺した」 De lectric fluid magnified, And killed five hundred nigger という歌詞も登場している。 人気の広がり [ ] この歌はスティーブン・フォスターの代表曲というだけではなく 、アメリカで最も有名な歌の1つである。 また、歌詞はカリフォルニアへ旅立つ内容にアレンジされて 、の非公式テーマ曲になった。 のこの歌は、メロディーはフォスターのままだが、詞は完全に異なる内容である。 日本には、1852年頃にが初めてこの曲を伝えた。 その後、1964年にはのテレビ番組『』で日本語の歌で放送された。 また、学校教育でも用いられており、小中学校の音楽の教科書にもたびたび掲載されている。 の到着前のチャイムとしても採用されている。 主な録音 [ ] 1955年にシンギング・ドッグスが歌ったは、ので22位を記録した。 1965年に発表されたの2枚目のアルバム『ターン・ターン・ターン』の最終トラックに、ユーモラスな「おおスザンナ」が収録されている。 も、1970年に発表した2ndアルバム『』に、この歌を収録している。 の2012年のアルバム『アメリカーナ』の最初のトラックに、この歌が収録されている。 1963年、フォークグループのビック・スリーは、のアレンジの下「The Banjo Song」としてこの歌を録音した。 他にも様々なミュージシャンにカバーされている。 脚注 [ ]• Richard Jackson. 1974. Stephen Foster song book: original sheet music of 40 songs. Courier Dover Press. 177. , 2012年4月25日閲覧。 要購読契約• , 2012年4月25日閲覧。 要購読契約• 2011年9月閲覧。 via HighBeam Research , の2013年1月3日時点におけるアーカイブ。 , 2012年4月25日閲覧。 要購読契約• Cahill, Greg 2008-11-14 , , Pacific Sun Pacific Sun via HighBeam Research , の2013年10月11日時点におけるアーカイブ。 , 2012年4月25日閲覧, "But popularity didn't translate into success. His ebullient "Oh! " 要購読契約• Marks, Rusty 2001-04-22 , , Sunday Gazette-Mail Gazette Daily Inc. via HighBeam Research , の2013年10月11日時点におけるアーカイブ。 , 2012年4月25日閲覧, "The song, written in 1847, soon spread throughout the country. Foster decided to become a full-time songwriter, a vocation no one had bothered to pursue until then. " 要購読契約• , US Fed News Service, Including US State News. The Associated Newspapers of Ceylon Ltd. via HighBeam Research, 2010-10-16 , の2013年10月11日時点におけるアーカイブ。 , 2012年4月25日閲覧。 要購読契約• Michael Saffle. 2000. 382. Gross, Terry 2010-04-16 , , NPR Fresh Air National Public Radio via HighBeam Research , の2014年8月8日時点におけるアーカイブ。 , 2012年4月25日閲覧, "Mr. EMERSON: I think that Stephen Foster really did create popular music as we still recognize it today. He did it because he took together all these strands of the American experience. That song is extremely Irish in its origins, just as other songs are extremely African-American, just as others are extremely Italian and operatic, or sometimes German, and even Czechoslovakian. For instance, the beat of "Oh! Susanna" is the beat of a polka. He's clearly effectively merged them into a single music. And I think he merged them in way that appeals to the multicultural mongrel experience of America in its history and culture. " 要購読契約• Celticguitarmusic. com. 2011年7月1日閲覧。 Music: In Theory and Practice, Vol. I, p. Seventh Edition. , Seattle Post-Intelligencer Hearst Communications Inc. via HighBeam Research , 1997-07-12 , の2013年1月3日時点におけるアーカイブ。 , 2012年4月25日閲覧。 要購読契約• , 2012年4月25日閲覧。 要購読契約• , The Cincinnati Post Dialog LLC via HighBeam Research , 2002-03-21 , の2014年6月11日時点におけるアーカイブ。 , 2012年4月25日閲覧。 要購読契約• , 2012年4月25日閲覧。 朝日新聞 2010年6月25日. 2012年6月15日閲覧。 『歌い継がれる名曲案内 音楽教科書掲載作品10000』日外アソシエーツ、2011年。 Whitburn, Joel 2009 , Top Pop Singles 1955-2008, Record Research, Milwaukee, WI• , Vincent Flanders: His Personal Web Site , 2012年4月25日閲覧。 , Allmusic , 2012年4月25日閲覧。 , Allmusic , 2012年4月25日閲覧。 , Allmusic. com , 2012年5月9日閲覧。 , Allmusic , 2012年4月25日閲覧。 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するメディアがあります。 英語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。

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