川崎 協同 病院 事件。 川崎協同病院事件

終末期医療を考える 川崎協同病院事件①

川崎 協同 病院 事件

略歴 1992年、横浜市立大学医学部卒業、同大学病院で2年間の初期研修終了後、第二外科学教室入局。 98年に退局し川崎協同病院に入職。 以降、民医連医療の実践者として活動。 7月30日(水)、の「第17回臨床指導者研修会」が開催され、会場の東葛看護専門学校講堂に110人が集まりました。 午前中は「公開講座」で、川崎協同病院の和田先生が約2時間にわたって熱く語りました。 その内容を要約して紹介します。 はじめに ぼくは、卒業後は大学の医局に入局して様々な病院を回り、最後は大学の生体肝移植チームにいました。 1998年に大学を退局して川崎協同病院に入職しましたが、その直後に「気管チューブ抜去・薬物投与事件」が起きました。 就職当時7人いた外科医が、事件後はぼく一人だけになり、東京民医連をはじめ全国から延べ40名の外科医が助けに来てくださって何とか立ち直ることができました。 川崎協同病院では、看護師から本当にいろいろなことを学びました。 今日はその実践を紹介しながら、「患者に寄り添う」とはどういうことか、また、患者さんの人権、社会保障、平和などについてもお話しさせていただきたいと思います。 めざす医療者像 「一定のサブスペシャリティを持ったジェネラリスト」。 これがぼくらのめざしている医療者像です(図1)。 土台の「基本的臨床能力」は誰もが持つべき能力です。 その上に二つの能力を並行して育てていく。 一つは、一定の専門性を磨いていくことです。 たとえば、看護師であれば小児の看護、在宅看護、がん看護などの様々なサブスペシャリティがあります。 もう一つは、患者さんや地域の健康に責任を持つための資質です。 これはどの専門職も共通して培ってゆくべき能力です。 基本的臨床能力の上に専門性と総合性の両方をバランス良く育てていく。 これが、ぼくらがめざしている医療です。 民医連の看護には「三つの視点」があります。 (1) 患者の立場に立つ (2) 患者の要求から出発する (3) 患者とともにたたかう この三つの視点がいろいろな形で展開されています。 看護展開は現場によって様々に形を変えますが、民医連の看護には絶対譲れない共通点がある。 これが民医連綱領であり、三つの視点なのです。 これを理解してもらうためには、現場で看護学生に本物を見せる、本物の民医連看護を体験してもらうことが一番大切ではないかと思います。 そのためには、同じ思いを持ったチームが必要です。 理想の医療に向かってどんなに努力しても自分一人では実現できません。 目標・思いを共有するチームをつくることは非常に大切なことです。 図1 「患者中心の医療」と「患者の立場に立つ医療」との違い 今や「患者中心の医療」が花盛りですが、民医連看護の三つの視点には、「患者中心の医療」とは書かれていません。 「患者中心の医療」と「患者の立場に立つ医療」とは違うのでしょうか。 「患者中心の医療」が語られる場合は、問題を抱えた患者・家族が真ん中にいて、その周りを医療者が取り囲むように表現されます(図2の左)。 一方、「患者の立場に立つ医療」では、解決すべき問題だけを真ん中に残し、その周りを患者・家族も含めて取り囲んでいます(図2の右)。 患者・家族と医療者は同じ輪の中にいて、対等な立場で手をつないでいる。 患者さんと一緒に手をつないでいるからこそ、三つの視点の「患者の立場に立つ」ことも「ともにたたかう」こともできるわけです。 中央に問題を据えることで「患者の要求から出発する」という視点もはっきりします。 さらに、この「解決すべき問題」は、必ず患者さんの人権のレベルまで掘り下げ、全ての職種が力を合わせて解決していきます。 職種の力関係は常に一定ではなく、立ち現れる問題に合わせて、職種の力関係が柔軟に変化する。 これが真の民主的なチームといえます。 図2 患者さんのHappyのために尽くす ぼくは研修医に「どんなに困難な場合でも自分と相手とのWin-Winの関係をあきらめるな、それが本当のプロだ」と教育しています。 自分のスキルアップのためとか、経験を積むためだけではなくて、あくまでも患者さんのHappyのために尽くすこと。 そして、その結果患者さんがHappyになるのを見て自分もHappyになること。 単なる献身や自己犠牲の上に成り立ってはいけない、相手も自分もHappyになれるような医療展開をしなければいけないということです。 それには、一人では達成することはできません。 チームのプロフェッショナリズムが大きく影響します。 川崎協同病院の看護師たちがどういうチームアプローチをしているか。 ぼくが助けられたたくさんの経験の中から、いくつかご紹介します。 【タイミングを逃さない】 「誕生日、おめでとうございます!」 誕生日のお祝いは、自分が生きて年をとることを実感できる特別なイベント。 たった5分でも「誰もが自分だけを見てくれる」時間です。 先の長くない終末期の人におめでとうと言うのは残酷じゃないかと考える医療者もいますが、誕生日の朝からすべての医療者がそのことに触れずに1日が過ぎ、お休みなさいと消灯されるよりも、「おめでとう」と祝福されるほうがずっと嬉しいんです。 相手がどう思うかを推し量ったり想像したりする力は必要ですが、こちらの価値観を一方的に押しつけないこと、そして、タイミングを逃さないことはとても大切です。 誕生日とかクリスマスはその日でなければ価値が薄れます。 ぼくたちは、終末期の人にも心を込めて「おめでとう」と言うようにしています。 (ご本人の写真を示しながら。 以下も同じ)この方は肺がんの腰椎転移で全く動けなくなって、うつ状態になりました。 毎年奥さんの命日に墓参りをしていたのに今年は行けない、それが辛いと言います。 行くのは無理でも、病院の中でならできるかもしれない。 ぼくが自宅から奥さんの位牌とアルバムを持ってきて、奥さんが大好きだった寿司屋で出前をとって、みんなで奥さんを偲ぶ会をやりました。 【タブーをつくらない】 もう一つ、大切にしていることはタブーをつくらないということです。 たとえば、「病院ではペットに会えない」というタブーをやめました。 病室にペットの写真を飾っている人はたくさんいますが、実物の温かさや重さや匂いは写真とは比べ物になりません。 犬を病室に連れ込むわけにはいかないので、患者さんを別の部屋に移して会ってもらいます。 家族同然のペットに会えたら嬉しいに決まっています。 僕たちがどんなに優しい言葉をかけても見せなかった笑顔を一瞬で見せてくれます。 【柔軟な発想で】 Yさんを囲んで Yさんは直腸がん末期の患者さんでした。 離婚した奥さんとの間に中学生の息子がいて、「息子に会いたい」というナースコールを1日に100回以上繰り返していましたが、息子さんの消息がどうしてもつかめませんでした。 夜中も「息子に会わせてくれ〜!」と叫び続け、他の患者さんの療養環境が守れないような状態になりました。 薬で鎮静するしかないと何度思ったかわかりません。 ある日、困り果てた看護師は「そんなに子どもに会いたいのなら」と言って小児科病棟に連れていきました。 するとYさんは思いのほか喜んで、「ぼくはもうすぐ死ぬけど、未来のある赤ちゃんを見ていると癒されるから、また連れてきてほしい」と言ったんです。 それで済むならと、看護師は大喜び。 赤ちゃんなら小児科にいっぱいいますから(笑)。 ところがその翌週、緊急手術中に看護師から電話がかかってきて、「終わったら屋上に来てくれませんか」と言うのです。 屋上に行ってみると、Yさんが大勢の子どもたちと遊んでいました。 「何やってるの?」「今日はこどもの日でしょ。 自分の子どもでなくても癒されるなら、子供ならうちにゴロゴロいるじゃないと思ったの」 看護師はYさんのために、自分たちの子どもを連れて集まっていたんです。 Yさんは、子どもたちと一緒に撮影した写真や「おじちゃん、がんばってね」と子どもたちが書いた寄せ書きをベッドのまわりに貼り、その日からナースコールが一切なくなりました。 さらに、痛み止めの麻薬も要らなくなり、穏やかな最期を過ごすことができました。 ぼく自身は、Yさんのために自分の子どもを連れてくるなんて考えもしませんでした。 看護師の柔軟な発想には本当に脱帽です。 こういうスタッフに囲まれなかったら、ぼくは彼を睡眠薬で眠らせていたかもしれません。 医師が薬剤ではどうにもできなかった苦痛を、民医連の看護にみごとに救ってもらいました。 【チッチといるのが幸せ】 この人はOさんという男性で、チワワのチッチと一緒に車上生活をしながら日本中を回っていました。 ある日腸閉塞になって神戸の病院に運ばれ、直ちに手術が必要と言われましたが、手術を受けたらチッチが保健所で処分されると思ったOさんは、チッチを助けたい一心で、便を吐きながら知人のいる神奈川まで運転して来ました。 そして知人にチッチを託すと、当院に転がり込んできたのです。 大腸がんの腸閉塞は手術をして良くなりましたが、この時すでに肝臓に転移がありました。 チッチと一緒にいるためにわざわざ川崎まで来たわけですから、一緒に暮らせるケア付き住宅を何とか探してあげたかった。 しかし、生活保護の範囲で犬と一緒に暮らせるケア付き住宅というのはなかったんですね。 様々な困難を多くのスタッフが力を合わせて解決し、Oさんはチッチと一緒に入居できることになりました。 「自分は病院にはもう戻らへんよ、チッチといるのが一番幸せやから」とOさんは最後までアパートで過ごすことを決めました。 Oさんは、自分が死んだらチッチと一緒に写真を撮ってくれと言い残していました。 これが亡くなったときの写真です。 チッチはOさんのお腹の上に乗ったまま、ずっと動きませんでした。 チッチといるのが一番幸せというOさんの願いを、本人とスタッフばかりでなく、行政や訪問看護師など彼に関わる全ての人々が共有したからこそできたことです。 つまり、図2の真ん中に表れる問題は、薬や点滴や手術ではどうしようもない、けれどもそれがその人の人生で一番大切なこと、という場合がたくさんあるのです。 QOLをどう考えるか クオリティ・オブ・ライフ(QOL)は、生活の質・生命の質・人生の質などいろんな言い方をしますが、ひとことで言えば、Happyかどうか、これに尽きます。 患者さんが幸福かどうか、満足かどうか、調和がとれているかどうか、この三つがQOLの本質であり、あらゆる判断のものさしです。 すべての治療やケアはQOL向上のために行うものであり、たとえ最新のエビデンスやガイドラインでも、患者がHappyにならないことは絶対にやってはいけません。 たとえば、がんが全身に転移している患者さんがいて、ある抗がん剤の点滴をしなければ余命は4週間、点滴をすれば余命は6週間にのびるとします。 皆さんだったらどうしますか? 抗がん剤治療を「やる」という人は手をあげてください。 「やらない」という人のほうが多いですね。 では、4週間の命が6年にのびるなら「やる」という人。 手があがりました。 つまり皆さんも、自分がHappyになると思えばやる、ならないと思ったらやらないという判断をするということです。 Happyかどうかを決めるのは医療者ではなく、あくまでも患者さんなのです。 「今でもこんなに苦しくて痛いのに、つらい時間が2週間ものびるなんてまっぴらです」と言う患者さんに対して、延命できるのだからと医師が抗がん剤を指示したら、この人のQOLは下がる可能性があります。 しかし、もし患者さんがこう言ったらどうでしょう。 「えっ、4週間が6週間になるんですか。 実はあと1ヵ月で初孫が生まれるんです。 どうせ死ぬなら孫の顔を見て死にたいから、どんな辛い副作用でも耐えますのでぜひお願いします」。 この患者さんに化学療法をすることはQOLが上がる可能性があります。 つまり、全員に同じ治療を適応するのではなく、QOLが上がるか下がるかをそのつど考える、本人も含めてみんなで考えることが大切なのです。 人生は人それぞれ違うのに、すべての患者さんに同じケアをするほうがよっぽど不公平です。 医療者は、患者さんや家族の思いを聞かないで治療方針を決めることはできません。 答えは必ずベッドサイドにあって、その本音を聞き出せるのは患者さんの最も近くにいる看護師です。 その患者さんに合った個別性が何かということを、看護師はぼくに教えてくれます。 看護師の業務は「診療の補助」と「療養上の世話」と法律で決まっていますが、看護の神髄は療養上の世話です。 さきほどの事例もすべて、看護師が療養上の世話を追求することで患者と主治医を助けてくれました。 ぼくは看護、特に民医連の看護は、医師には絶対にまねのできない領域だと思います。 厚労省は今、看護師が医行為をできるようにしようと画策していますが、これは医師の仕事を肩代わりすることであって「診療の補助」の範囲を超えているし、看護の神髄である「療養上の世話」に時間が割けなくなってしまいます。 「健康」に最も必要なのは平和 さて、民医連綱領は日本国憲法に基づいて地域の「真の健康権」を追求しています。 皆さんは「健康」の定義を知っていますか。 1978年にWHOとユニセフが合同で「アルマ・アタ宣言」を出し、健康を「単に病気でない、虚弱でないというだけでなく、身体的、精神的そして社会的に完全に良好な状態をさす」と定義しました。 どんなに体が元気でも、心が病んでいたり、社会が病んでいたりしたら、健康ではない。 殺人が正当化されるような戦争をしているような世の中では、健康はありえないということです。 さらに、1986年に出されたオタワ憲章では「健康の条件」が設定されました。 「健康に必要な条件は、平和・住居・教育・食料・収入・安定した生態系・持続可能な資源・社会正義・公平である」と書かれています。 最も大切な「平和」が最初に書かれていますが、「医療」はどこにも書かれていません。 健康に必要な条件は、まず平和な世の中なのです。 しかし、政府は戦争のできる国に向けて着々と準備を進めています。 特定秘密保護法案を強行採決し、武器輸出もできるようにし、集団的自衛権もむりやり閣議決定しました。 原発再稼働も進めています。 毎日命を守っているぼくらが、この危険な動きに対して、「それは政府が決めたことだから」と言っていていいのでしょうか。 ぼくは研修医に民医連の医療について話すときには、現場主義を徹底しています。 困っている患者さんを一緒に診て、その患者さんの声を聞いて、一緒に考えるようにしています。 しかし、戦争と原発だけはそうはいきません。 戦争が始まってから戦場に行って一緒に考えましょうというわけにはいかない。 戦争に関しては過去の過ちから学ぶしかないんです。 健康にとって最も大切な条件は平和である。 これは世界的に認められている常識ですが、一見平和な日本であっても、ここから目をそらしてはいけないと思っています。 民医連看護に命を吹き込む 全日本民医連副会長の野田浩夫先生が「崖の下の救急車論」という考えを提唱されています。 今は一見平和な世の中に見える。 でも実は崖の上で大規模な殺戮が起きていて、崖の下に人が落ちてくる。 崖の下の救急車に待機し、落ちてきた人を一生懸命に助けているのが今の医療者の姿だ。 なぜ崖の下で待機しているんだ? 社会がゆがんでいるために健康がおびやかされている人たちがいるとわかっているのに、それには目をつぶって、病気になった人(落ちてくる人)だけを助けるのが医療者の役割なのか。 崖の上に登って、病気にならないように社会を変えていくのが本来の医療者ではないか。 SDH(Social Determinants of Health)とは健康の社会的決定要因のことで、WHOは10のエビデンスを出しています。 たとえば、社会格差自体が健康を損ねているという明らかな因果関係が立証されています。 ところが社会格差を是正することなく、病気になった患者を治すガイドラインが次々に作られています。 これでは本末転倒です。 崖の上にもきちんと目を向ける医療者にならなければなりません。 全ての命の重さは平等だからこそ、民医連は最も困難な人が確実に救われるシステムをめざしているのだとぼくは思っています。 宮沢賢治は「農民芸術概論綱要」の中で「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と言っています。 ぼくの一番好きなことばです。 民医連綱領は、真の健康権を追求し、世界全体を幸福にするための羅針盤です。 悩んだら必ずそこに立ち返れと、ぼくは恩師に叩き込まれました。 民医連綱領や看護の三つの視点は、その理念を単独で学ぶべきものではありません。 これらは、実は患者さんや地域の中にたくさん隠れています。 それを日々の看護実践の中で自ら見つけたときにこそ、民医連の看護に命が吹き込まれるのではないかと思っています。 (拍手).

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「気管チューブ抜去・薬剤投与死亡事件」への声明

川崎 協同 病院 事件

Untitled Document 川崎協同病院事件 事件の経緯 神奈川県川崎市川崎区の川崎共同病院 患者は川崎公害病の国認定患者だった50代の男性患者(医師は 15 年くらい前から担当医) 1998年11月16日に事件が発生 11月2日 帰宅途中に持病の気管支喘息の発作のため、心肺・呼吸が停止 病院に搬送後、蘇生し心臓は動きだす 数日後 自発呼吸が戻るが、意識不明のまま 11月14日 主治医から、家族へ「人工呼吸機につないでいる気管内チューブ」の取り外し を提案 主治医の「楽にしてあげたい」という言葉の意味についての食い違い 11月16日 医師が家族全員病室に集まるように指示し、気管内チューブを取り外す 患者は呼吸困難に陥る これを見て、家族は「楽にしてあげたい」と発言(病院側発表) 医師が鎮静剤と「呼吸停止に至る」量の筋弛緩剤を投与 投薬はセルシン 10mg ・ドルミカム6A・ミオブロック点滴静脈注射 投薬の際、医師が「楽にしてあげるから」と発言 数分後に患者は死亡 死亡診断書には「無酸素性脳症」と記載 医師は「意識が戻らない状態が長く続くと思った。 上記の4要件と今回の事件を照らし合わせて考えると…。 そして、報道された記事から見る限り、家族と医師との間においても医療計画の話し合いがしっかりとなされていたとはいえないということだろう。 気管内チューブの抜管を家族に持ちかけたとき、医師は「9割9分9厘」脳死状態といったというが、脳死状態の判定は1人の医師が軽々しくすべきものだろうか。 医師の行為は、医療行為であるとはいえず、また4要件をどれひとつ満たしていないことからも、この事件はとても安楽死ではなく、医師の独善的な判断による殺人という判断がされるのではないだろうか。 病院側によると、「患者本人の明らかな意思表示」など、東海大安楽死事件で95年に横浜地裁が示した安楽死とされる4要件を満たしておらず、殺人罪に問われる可能性がある。 同病院によると、患者は98年11月、帰宅途中に持病の気管支ぜん息の発作が起こり、心肺と呼吸が停止した状態で同病院に運び込まれた。 蘇生後、心臓は動き出し、数日後に呼吸できるようになったが、意識不明の状態が続いた。 このため、入院から13日目に主治医が「これ以上の延命はしのびない」と家族に、人工呼吸器につないでいる気管内チューブの抜き取りを持ちかけた。 その2日後の夕方、主治医は気管内チューブ抜き取った後、鎮静剤と「呼吸停止にいたる量」の筋弛緩剤を投与した。 同病院は患者の死亡後、事実を知ったが、前病院長が主治医に厳重注意をしただけだった。 昨年10月に病院職員から指摘を受け、改めて事実関係の調査を実施。 安楽死の4要件にあてはまらないと判断。 19日朝、神奈川県警臨港署に事情を説明した。 主治医に対しては昨年12月に退職を勧告。 主治医は今年2月末に病院を辞めたが、今月、遺族に謝罪したという。 同病院は今後、外部識者を含めた調査委員会を設置する。 堀内院長は「医療倫理の原則にも反しており、許されない行為と考えている。 主治医と遺族の言い分に食い違いがあるが、2度とこうした事例が起きないよう信頼回復に全力を尽くしたい」と陳謝した。 病院側によると、「患者本人の明らかな意思表示」など、東海大安楽死事件で95年に横浜地裁が示した安楽死の4要件を満たしていないうえ、主治医はカルテに病死と表示しており、死亡診断書にも虚偽が記された疑いがある。 神奈川県警捜査1課と川崎臨港署は殺人容疑などでの立件を視野に入れ、20日にも主治医や遺族、病院関係者らから事情を聴く方針。 同病院によると、患者は98年11月、帰宅途中に持病の気管支ぜん息の発作が起こり、心肺が停止した状態で同病院に運び込まれた。 蘇生措置後、心臓は動き出したが、人工呼吸器が必要なうえ、意識不明の状態が続いた。 数日後、自発呼吸も可能な状態になったが、意識は戻らず、入院から13日目に主治医が「これ以上の延命はしのびない」と気道確保のための気管内チューブの抜き取りを持ち掛けた。 その2日後、主治医がチューブを抜き取ると、患者は呼吸困難に陥った。 その後、主治医は家族に対し「楽にしてあげるから」と言い、鎮静剤と「呼吸停止にいたる量」の筋弛緩剤を投与し、数分後患者は死亡した。 病院側の説明では、家族は気管内チューブを抜き取る行為が患者の死につながるという認識がなかったほか、主治医から筋弛緩剤を投与するという説明を受けなかったらしい。 堀内院長は「遺族は『ぜんそくで亡くなったと思っていた』と言っている。 主治医と遺族との言い分に食い違いがある」と話している。 患者は大気汚染による公害病の国認定患者だった。 同病院は患者の死亡後、事実を知ったが、前病院長が主治医に厳重注意をしただけだった。 昨年10月に病院職員から指摘を受け、改めて事実関係を調査。 今月13日、遺族に謝罪し、同19日、川崎臨港署に事情を説明した。 主治医に対しては昨年12月に退職を勧告。 主治医は今年2月末に病院を依願退職した。 同病院は来週にも、外部識者を含めた調査委員会を設置するという。 堀内院長は「医療倫理の原則にも反しており、許されない行為と考えている。 2度とこうした事例が起きないよう信頼回復に全力を尽くしたい」と陳謝した。 東海大病院の「安楽死」事件で横浜地裁は九五年、医師による安楽死が認められる要件として患者本人の意思表明などを示したが、病院側は「要件には当てはまらず、許容できない」と川崎臨港署に届けており、医師は殺人罪に問われる可能性がある。 医師は死亡診断書に事実と異なる死因を記載していたといい、虚偽の診断書を作成した疑いも出ている。 病院側によると、患者は九八年十一月上旬、気管支ぜんそくの発作が起き、心肺停止状態で運ばれた。 心臓は動いたが意識は戻らず、呼吸維持のため、気管内にチューブを挿入する状態が続いた。 主治医だった医師は、家族に「楽にしてあげたい」とチューブを抜くことを提案。 その二日後、入院から十五日目に当たる十一月中旬、家族の立ち会いの下でチューブを抜き、鎮静剤を投与した後、呼吸が止まる量の筋弛緩剤を投与し、死亡させたという。 堀内院長は「『楽にしてあげたい』という言葉の意味について、家族と医師の間で食い違いがあったのではないか」としている。 病院側は当時、医師に口頭で注意しただけだった。 昨年十月、職員の指摘で内部調査。 医師は勧告を受けて今年二月末に退職した。 病院側は今月十三日、家族に謝罪したが、筋弛緩剤の投与は明らかにせず「薬物使用により死に至らしめた」と説明したという。 〈医師と家族認識にズレ〉 川崎協同病院(川崎市)で、主治医の女性医師が男性患者に筋弛緩(しかん)剤を投与し死亡させた問題は、患者処置をめぐり、医師と家族の認識が大きく異なっていた可能性が出ている。 病院側によると、医師は、回復が見込めないのに気管内チューブを挿入して患者の呼吸を維持していることを「忍びない」と判断。 家族に「楽にしてあげたい。 チューブを抜くことを話し合ってほしい」と提案した。 それは「死」を意味していた。 ところが、これまでに三回、家族と面会し、当時の状況を聞いた病院側は「家族は『期待していたことと違うことをされた』と思っているようだ」としている。 家族が何を期待していたのか、チューブを抜くことを家族が同意していたのかについて、病院側はあいまいな説明を繰り返している。 〈事実なら医療逸脱〉 厚生労働省医政局総務課の話 治療行為ではなく、死なせるのが目的だということが事実ならば医療行為を逸脱している。 殺人なのか、自殺ほう助なのか、分からないが、刑法の範ちゅう。 報告を受ける仕組みになっていないので、詳細は分からないが、週明けに任意で話を聴くことはあるかもしれない。 安楽死については定義も設けておらず、国民的なコンセンサスは取れていないと考えている。 投与すると、呼吸困難に陥る。 投与後すぐにけいれんを起こし、呼吸が停止するため、通常は人工呼吸器を使って呼吸を確保する。 今回のケースについても、同省の幹部の1人は「病院側の発表通りなら、医師の行為は治療行為とは言えない」と話した。 安楽死を巡っては、東海大医学部付属病院(神奈川県伊勢原市)で1991年4月、同大助手だった医師が末期がん患者を安楽死させるために塩化カリウムを注射、死亡させたとして殺人罪に問われたケースがある。 横浜地裁は95年3月、この助手に対して、懲役2年、執行猶予2年の有罪判決を言い渡し、確定した。 これ以後、医療現場でのひとつの指針となっている。 96年4月には、国保京北病院(京都府京北町)の院長(当時)が、やはり末期がん患者に対して、呼吸を停止させる作用がある筋弛緩剤を点滴投与し、死亡させたケースがあったが、京都地検は「直接、患者の死につながったとは断定できない」として、嫌疑不十分で不起訴処分とした。 海外では、オランダで今年4月、国家レベルとしては世界で初めて、安楽死を合法化する法律が発効したばかりだ。 その隣国のベルギーでも昨年10月、医師による安楽死を合法化する法案を可決した。 米国では、すでにオレゴン州で97年に安楽死が合法化されている。 一方、日本では旧厚生省が97年に行った末期医療に関する意識調査で、安楽死を容認する人は、国民全体の9%、医師や看護職員の1%に過ぎず、翌年まとまった検討会の報告書も「安楽死は一般には容認されていない」と結論付けた。 ただ、厚労省では、国民の意識の変化も考慮する必要があるとして、5年ごとに調査を実施、来月にも新たな検討会を設置する予定だ。 医事評論家の水野肇さんは、「日本では、安楽死を積極的に選ぶ医師はいないだろう。 そういう場面に直面したとしても、痛みに苦しむ患者や家族を前に、苦悩した末の選択になるに違いない」とみている。 川崎協同病院(川崎市川崎区)が19日、こう認めた、筋弛緩(しかん)剤の投与による気管支ぜんそく患者の「死」。 病院側は「男性患者の意思が確認できていなかった」とし、神奈川県警は殺人容疑を視野に入れ情報収集を始めた。 患者の死後、病院側は、主治医だった中年の女性医師の行為を把握しながら、徹底的な調査を行わず、当時の院長は医師に厳重注意しただけで済ませており、今後、病院側の管理体制も問われそうだ。 この日午後、同病院の堀内静夫院長(54)らは沈痛な表情で、川崎市役所での記者会見に臨んだ。 午後3時から始まった会見は、20日午前零時ごろまで約9時間に及ぶ異例の長さとなった。 堀内院長らによると、筋弛緩剤の投与があったのは1998年11月中旬の夕刻。 患者の家族らが見守る病室で、女性医師が気管内に挿入されていたチューブをはずした直後に、患者が苦しそうに体を動かしたため、鎮痛剤に続いて筋弛緩剤を投与。 その量は「呼吸停止に至る、間違った量」だったという。 患者の苦しむ姿を見た家族が「楽にしてあげたい」と医師に頼んだというが、堀内院長は「『楽にしてあげたい』という言葉が、痛みを和らげるように求めたのか、安楽死を求めたのかは分からない」と述べた。 カルテには投与した筋弛緩剤の量などが記されているが、堀内院長らは「警察の捜査が始まっている」として公表を拒んだ。 病院側は、この医師が担当した患者のカルテを過去5年間さかのぼって調査したが、同様のケースは見つかっていないという。 チューブ取りはずしなどは当時、病院内でも問題となったが、「問題のある行為という認識にとどまった。 当時の院長の厳重注意だけで済ませてしまった」(堀内院長)ため、徹底的な調査は行われなかった。 昨年10月末に職員が患者のカルテを発見、病院管理部が調査を開始し、12月末には「倫理上の問題がある」との確証を得たという。 病院側は同月末、医師に辞職を勧告したが、遺族側に説明を行ったのは今月13日になって。 「死因が薬物投与によるものである可能性がある」と説明したところ、遺族側は「基本的にぜんそくで亡くなったと思っていた」と答えたという。 堀内院長は「医師から説明を受けた患者の家族は、チューブを抜くことが死につながるという認識はなかったようだ」としている。 遺族への説明が遅れたことについて、院長は「反省している。 隠ぺいする気はなかった」と釈明。 「損害賠償はこれから検討するが、誠心誠意対応したい」と述べ、当時副院長だった自身を含む病院幹部の管理責任を問う考えを表明した。 殺人容疑に当たるかどうかについて、同席した弁護士は「刑事事件に当たる可能性があるとしか言えない」と明言を避けた。 【死亡診断書虚偽の記載】 会見では、女性医師が記入し、川崎市役所に提出された死亡診断書に、病院の調査結果による「呼吸筋マヒ」とは異なる記載があったことも明らかになった。 病院側は「虚偽の記載だった」と結論付けた。 堀内院長は、医師に自首を勧めたが応じていないとし、医師は「意識が戻らない状態が長く続くと思った。 本人と家族にとって延命は良くないと思った」と話しているという。 【主治医の女性「答え控える」】 女性医師は19日、読売新聞社の取材に、しばらく考えた後、「いろいろな問題が絡んでいますので、答えは控えます」と話した。 医師は今年2月に川崎協同病院を依願退職し、横浜市港北区で診療所を開業。 白衣姿の医師は、「警察から話を聞かれるなら、(その時)答えるので、今はそっとしておいてほしい」と言い残し、往診に出掛けた。 医師の行為を最後まで医療の一環と信じていたことが遺族自身の証言から分かった。 長男によると、98年11月16日、家族全員が病室に集まるよう女性医師から指示された。 集まった家族の前で、医師は気管内チューブを抜き取った。 その直後、父親は起き上がるような格好で体を反らし、苦しんだという。 「医師は父の肩に手を当て、父の名を呼びながら『楽にしてあげるからね』と声をかけた」 医師は看護婦から受け取った注射2本を父親に打った。 長男は苦しみを和らげるための措置と受け止めたが、握っていた父の手はみるみる冷たくなった。 亡くなるまでわずか30分だった。 「チューブを抜いてみたいので、家族と相談してほしい」との申し出は、2日前の14日、医師から母親に伝えられていた。 それが「死を招く処置」であるとの説明はなかったという。 「チューブを抜くという行為は治療のひとつだと思っていた」という。 当時から「この死はおかしいと思った」と、長男は振り返る。 「弁護士に依頼することも考えたが、父の死のショックで家族がボロボロになっていた。 おかしいと思うのは素人の考えで、これが医療の流れなのかも知れないと思った」 「大変なことが起きた」と病院から突然、電話があったのは今月13日。 その日、病院関係者が訪ねてきた。 「これは安楽死か、もしくは殺人じゃないのか」と長男が問い掛けると「私たちからは何も言えない」と口をつぐんだという。 「家族の同意がないままの処置だった。 これからの病院の動きをみたい」。 3年半の釈然としない思いを、長男は憤りととともに吐き出した。 これまでの病院側とのやり取りの中で、薬物投与についての明確な説明はまだないという。 しかし、結局、正式な幹部会議には諮られず、うやむやになっていたといい、桑島政臣副院長は「もみ消しと取られても仕方ない」と述べた。 また、神奈川県警は20日、堀内静夫病院長と事務長らから参考人として事情を聞くなど、本格的な真相究明に乗り出した。 同病院によると、前院長からの報告は、非公式のミーティングという形で数人の幹部だけを集めて行われた。 本来、同病院では医療ミスなどが起きた場合、月1回定例の「管理会議」に事実関係を報告する。 同会議は院長と3人の副院長を含む幹部10人で構成、出席者全員に議案の提案権があり、調査や関係者の処分を決めることができる。 議事録が作成されるが、男性患者の件については、管理会議に諮られることはなかったという。 当時副院長だった堀内院長は、この非公式ミーティングには出席しておらず、昨年10月、職員に指摘されてカルテを見るまで知らなかったという。 桑島副院長は出席したが、特に口止めされたわけではないとし、「自然とうやむやになってしまった」と釈明した。 長男によると、主治医の女性医師から「男性患者の口に入っているチューブを抜くので親族に来てほしい」と連絡があったのは1998年11月14日だった。 2日後の16日、病室に家族、親族合わせて十数人が集まった。 女性医師が口からチューブを抜くと、それまでこん睡状態で身動き一つしていなかった男性患者がうめき声を上げ、体を上下に波打つようによじり始めた。 女性医師は、男性患者の両肩に手を置いて、「すぐに楽にしてあげる」と話し掛け、注射を打った。 さらに付き添っていた看護婦に指示して、別の部屋から何かの薬品を持ってこさせ2本目の注射を打った 長男はベッドの傍らで男性患者の右手を握っていたが、その手がだんだん冷たくなっていったのを覚えている。 気が動転していったん病室を出たが、戻ると、女性医師に「ご臨終です」と言われたという。 病院側から示された死亡診断書の死因は「無酸素性脳症」。 しかし、病院側から詳しい説明はなかった。 当時、長男は「投薬ミスで死んだのではないか」と疑い、病院を提訴することも考えたが、家族の反対もあり我慢したという。 「チューブを外すとどうなるか、一切説明を受けていなかった。 15年くらい前からの担当医なのできっとよくなるだろうと信じていたのに」。 長男の言葉に悔しさがにじみ出た。 「(事件には)事前に関与したことは一切ない。 既に捜査が始まっており、予断を与えるような言動は慎みたい」とする前院長のコメントを発表した。 前院長は、協同病院を「家庭の事情」で辞めた後、昨年6月から実家近くの鳥取市内で働いている。 松本弁護士は「前院長は被疑者という立場にない」と強調。 「安楽死という微妙な問題で、正確な事実認定と高度な法律判断が必要となる。 捜査当局や病院の求めがあれば、真実を明らかにしたい」と話した。 医師が「楽にしてあげる」と注射を打った直後、心拍が乱れ、患者は家族らが動揺する中で死亡していたことも分かった。 長男は神奈川県警にも同様の証言をしており、医師の殺人容疑立件に向けた捜査に影響を与えるとみられる。 川崎市内で会社を経営する長男によると、男性は川崎公害病の認定患者。 九八年十一月十六日に死亡した。 その二日前、見舞いに来た母親に対し医師が「気管内に挿入しているチューブを抜きますので、家族で話し合い、病室に集まってください」と話した。 死亡当日、家族や親族十数人が見守る中、医師がチューブを抜くと、患者はたんが気道に詰まって苦しみ始めた。 医師は同じベッドに腰掛けて患者の両肩に手を置き「今、楽にしてあげるからね」と話し掛けた。 その直後、医師が注射を二本続けて打つと、心拍が乱れ、長男が握っていた患者の手が次第に冷たくなった。 家族らから「キャー」「どうしたの、何?」と悲鳴が上がり、病室内が騒然となる中、医師は「ご臨終です」と告げた。 長男は「親にはどんな形でも生きていてほしい。 チューブを抜くのは治療だと思っていた。 葬儀後、死に方がおかしいと思った」と話している。 会見では、カルテと看護記録に記された筋弛緩剤の投入量が異なっていたことも明らかにされたが、病院側は「病室に看護婦がいたかどうかについてもわからない」としており、内部調査がそもそも不十分だった疑いが出てきた。 一方、神奈川県警は同日、当時の事実関係を確認するため、前院長や男性患者の遺族から話を聞いた。 同日の堀内静夫院長の記者会見によると、女性医師から院長が正式に事情聴取したのは昨年11月下旬。 その後も、補足的に副院長らが女性医師から男性患者が死亡した当時の様子などを聞いたというが、事情を聞いたのは「女性医師からだけ」としている。 また、カルテを4、5人の内科医で分析したというが、看護記録に記載された筋弛緩剤の投入量がカルテの量とは異なる点については、「ともに男性の呼吸を止めるには十分な量。 極端な違いはなく、わずかな差に過ぎない」と判断。 男性の死亡時に、看護婦が男性の病室にいたかどうかや、筋弛緩剤がどこから持ち込まれたかについては、「看護記録の記述がわかりにくいためわからない」「筋弛緩剤が事前に用意されていたか、途中で持ち込まれたかはわからない」と、あいまいなままになっている。 これに対し、男性患者の遺族は、女性医師が男性患者の口からチューブを抜いた際、病室に看護婦が付き添っており、女性医師の指示で別の部屋から筋弛緩剤などを持ってきたと説明。 病院側は、遺族側に確認することもしていない。 女性医師は「楽にしてあげる」と言ったとされるが、病院側は「患者は苦痛を感じる状態ではなかった」など、「積極的安楽死」を許容する4要件にすべて当てはまらないと具体的に指摘した。 病院側によると、男性患者は、ぜんそくの発作で入院。 意識不明の状態が続いたが、自発呼吸ができ、血圧、脈拍も安定していた。 「積極的安楽死」が例外的に容認される場合の要件が示されたのは、東海大病院事件の横浜地裁判決。 堀内静夫院長は「2週間程度では『植物状態』とは言い難い状態。 脳障害は残ったにせよ、快方に向かう可能性はあった」と話している。 主治医だった女性医師 47 が、筋弛緩剤だけでなく、鎮静剤も患者を死亡させる目的で投与した疑いが新たに浮上したことになる。 当時の院長が副院長、看護部長、事務長との「四役会議」で事件を報告し「公にすることは家族に結果的に迷惑を掛けるので当面見送る」と隠ぺいを決めていたことも明らかになった。 市によると、気管内に挿入したチューブを抜かれ、苦しんでいる患者について、医師はカルテに「とても見ていられない」と記載。 筋弛緩剤は、病棟などに保管されておらず、市は「集中治療室(ICU)から持ち出したと考えられる」としている。 カルテと看護記録には鎮静・催眠薬の「ドルミカム」「セルシン」、筋弛緩剤の「ミオブロック」を患者に投与したことが記載されていた。 市は「常識的には考えられない量」と判断。 「気管内チューブを抜いた状態での投与は非常に疑問」としている。 また、看護師が記載する看護記録によると、鎮静剤の投与も致死量に達していたという。 同病院はこれまで、気管内チューブを抜いたことに関して「『見ているのは忍びない』と主治医が判断した」と説明。 家族も「女医の判断でチューブを外すことになった」などと話している。 同市が確認したカルテによると、男性患者は98年11月11日に気管内チューブを1度抜いたが、呼吸困難となり、再び挿入。 死亡当日の同月16日午後3時30分に「ファミリーが希望」し、同6時3分にチューブが外された。 患者の呼吸が激しくなり、女性医師は鎮静剤の「セルシン」を10ミリ・グラム注射。 効果がないため、別の鎮静剤「ドルミカム」を2回にわたって投与した。 1回目の投与量の記録はなく、2回目は6アンプル投与したという。 さらに、その後、筋弛緩剤の「ミオブロック」を点滴で投与。 男性患者は数分後の同7時すぎ、呼吸と心拍が停止したという。 カルテには、筋弛緩剤の投与量が記載されていないが、同市が確認した看護記録には、「ミオブロック」が3アンプル投与されたことになっている。 また、看護記録では「セルシン」が20ミリ・グラム、「ドルミカム」が80ミリ・グラムと50ミリ・グラムの2回に分けて投与されたという。 同市は「看護記録にあるドルミカムの総量だけでも十分な致死量。 また、ミオブロックも3アンプルで致死量」と話している。 一方、事件当時の同病院院長(57)に代理人を依頼された弁護士は22日、同院長の現在の勤務先がある鳥取市内で会見し、「事件には一切かかわっていない」と関与を否定した。 呼吸維持のため患者の気管内に挿入していたチューブを抜くよう、患者の妻に頼まれ「最期になる(死ぬ)」と説明、家族の了承を得たと強調。 その後の鎮静剤や筋弛緩(しかん)剤投与は「呼吸を止める目的ではなく、苦もんを取るためだった」としている。 だが患者の長男は「治療だと思っていた。 生きていてほしかった」と全面否定しており、双方の主張は真っ向から対立。 弁護団によると、患者が死亡する約四時間前の九八年十一月十六日午後三時ごろ、妻が「(チューブを)抜いてください」と医師に申し出たという。 医師は「最期になることですよ。 家族を集めてください」と言い午後五時半ごろ、集まった家族らに「抜管の希望が出ている。 抜管すると呼吸が弱くなる。 最期を見守って上げてください」と話した。 家族から質問や異論は出なかったという。 延命治療の断念は「家族の要請だった」とする病院側と、「生きていてほしかった」という遺族側。 双方の対立は「死」に対する考え方が多様になっている中で、現代医療そのものが抱え込む問題でもある。 ---------------------------------------- そもそもこの事件は一九九八年に起きた。 川崎公害病に認定されていた男性患者=当時 58 =が気管支ぜんそくの発作で入院。 その後、植物状態になったとして主治医の女性医師が気管支チューブを抜き取ったうえ、筋弛緩(しかん)剤を投与。 男性は入院から十五日目に死亡した。 この医療措置について、病院側と患者・家族の主張が今、真っ向から対立している。 まず問われるのは、三年半もの間、この事実が遺族への説明もなく病院側によって隠ぺいされていたことである。 昨年十月、病院職員からの指摘で調査し、今月になって遺族に謝罪、警察へ報告したという。 この病院側の対応は、遺族だけでなく社会全体に医療不信を抱かせ、許されないことだ。 だが、だれもが納得できる明快な見解はなく、今に至っている。 例えば九一年四月、東海大医学部付属病院で悪性リンパ腫の男性患者に主治医が塩化カリウムを注射し、死亡させた事件。 横浜地裁は殺人罪に問われたこの医師に懲役二年、執行猶予二年を言い渡し、確定した。 判決は安楽死を医療行為として認めた印象もないではないが、あくまで例外的な緊急避難としているにすぎない。 今回の事件で、医師の弁護団は患者の妻に頼まれ医療継続を断念、家族の了承を得た上での判断だと強調しているが、現状の日本では、命を縮める筋弛緩剤の使用はしてはいけない医療行為である。 だから神奈川県警でも医師の判断について殺人罪を視野に捜査を進めている。 末期がんや難病などで死を目前にした患者への治療行為は、いつの段階で、どのように打ち切られるのか。 重篤患者に医師が薬物を投与する行為は「積極的安楽死」などとされるが、日本ではまだ安楽死を認める法律は整備されていない。 患者や家族の意思確認の難しさは想像するに難くない。 だが、人の命を託された医者は、どんな場合でも常に冷静でなければならない。 今回もそうだが、安楽死の問題でよく医療側から出されるのが「患者、家族の要請があった」という言葉である。 しかし、人間だれでも本当はできるだけ長く生きたいものだ。 だから医師は、安楽死を求める側の「こんなに苦しいのなら」という前提を忘れてはいけないのだ。 医療行為の本質は、いつの時代であっても患者の命を短くする目的であってはならないと思う。 高齢化が進み、世の中の「死」に対する考えが多様になっている。 中には人間らしい「死に方」を選択する「尊厳死」を主張する人もいる。 近い将来、安楽死をひとつの死の在り方として正面からとらえた議論が必要になるに違いない。 その時は、医師と患者や家族の信頼関係をどうやって築いていくのかなど、議論はあらゆる観点から検証されなくてはならない。 海外ではオランダが安楽死の合法化に踏み切っているが、患者の意思確認や主治医の独断排除など厳しい条件が加えられているのは言うまでもない。 気管内チューブの撤去は男性の死亡につながる行為で、弁護団は「約三十分間で家族は十分話し合うことができた」としているが、専門家は「そんな短時間では、医師は家族に説明できないし、家族も理解できない」と指摘。 医師の対応が不十分だった可能性が高く、神奈川県警捜査一課は殺人の疑いがあるとみて捜査を進めている。 弁護団に対する医師の説明などによると、医師の求めで家族が病室に集まったのは九八年十一月十六日午後五時半ごろ。 「最期を見守ってください」と話して、午後六時ごろ気管内チューブを抜いた。 神奈川県警は、女性医師の殺人容疑を視野に入れて捜査しており、薬剤投与の意味が、今後の捜査の重大なポイントとなりそうだ。 女性医師が記入したカルテと、看護婦による看護記録の双方に、チューブを抜いた後の投与として3種類の薬剤が記録されていた。 鎮静剤の「セルシン」と「ドルミカム」、筋弛緩剤「ミオブロック」(いずれも商品名)で、セルシンとドルミカムは血圧を下げて患者の不安を除去し、ミオブロックはのどや胸の筋肉の働きを緩める効果がある。 人工呼吸器や気管内チューブを患者の口に挿入する際などに、この3つの薬剤がしばしば一緒に使用されるが、医療関係者らは抜いた後の使用に首をかしげる。 男性患者はミオブロック投与の数分後に呼吸と心拍が停止した。 千葉大の水口公信名誉教授(麻酔学)は「呼吸を楽にするためだけに、これらの薬剤を使うというのは考えにくい」と指摘する。 しかし、カルテには、「不思議」(医療関係者)なことに、セルシン以外の投与量が記されていない。 看護記録は通常、看護婦が後片づけをする際、空になった薬品のアンプル数から使用量を推定して記入する。 「カルテほどではないにせよ、証拠としても信頼できる」というのが一般的な考え方だ。 ある麻酔科医は、看護記録に残された量について、セルシンは一般的な成人男性への投与量の2倍で「致死になる場合もある量」、ドルミカムは同13倍で「十分な致死量」、ミオブロックは同2倍弱で「呼吸が完全に止まる量」と説明。 立ち入り検査した川崎市は「通常の治療では考えられない量」と指摘した。 病院側は「鎮静剤は患者の生命を短縮させる量。 さらに筋弛緩剤は呼吸を止めさせるほどの量であり、患者に害をなしてはいけないという医療倫理に反する」と言い切る。 これに対し、女性医師の弁護士は薬剤の投与について「患者の呼吸を止めるためでなく、苦しそうな呼吸を楽にするのが目的」とし、看護記録に記された量は「正確かどうか疑問」と指摘、病院側と食い違いを見せている。 同病院は事件を三年以上も隠し、しかも組織ぐるみで隠ぺい工作をしていた疑いが強い。 主治医と患者の家族との主張には大きな隔たりがあるが、医師側に納得し難いところが多い。 インフォームド・コンセント(十分な説明と同意)がきちんと行われていたとは思えない。 まず呼吸維持のため気管に挿入されていたチューブの問題。 医師によると、こうだ。 患者の妻が「抜いてください」と申し出たため、医師は集まった家族に「抜管すると呼吸が弱くなる。 最期を見守ってあげてください」と話した。 患者の長男の主張は違う。 抜管を言い出したのは医師の側。 医師が妻に「チューブを抜きますので家族で話し合ってほしい」と要請。 しかし当日、医師から説明はなく、長男は「治療の一環と思った」そうだ。 死の直前に投与された鎮静剤と筋弛緩剤についても不審がある。 医師は「投与は呼吸を止める目的ではなく、苦もんを取るためだった」と強調。 ところが投与量は「鎮静剤だけでも十分な致死量。 常識的には考えられない」(川崎市)というのだから首をひねる。 さらに医師は苦もんを除いたとする一方で「患者の意識が回復しない中、家族は究極の選択をして決断。 その申し入れを受け、やむにやまれぬ決断をした」とも説明。 安楽死を主張しているようにも思える。 筋弛緩剤は、チューブを抜いた後、苦しそうな呼吸をしている患者を楽にさせるために投与した。 ただし、具体的な薬品名は家族に告げなかったという。 果たして、これで医師が主張するように家族の同意を得てやったと言えるだろうか。 医師の行為と説明には矛盾を感じる。 そもそも「楽にしてあげる」という医師の言葉が気になる。 情緒的であいまいだ。 極限的状況下にある医療現場で使うには特に慎重さが必要なはず。 家族の方は、患者の苦しさを何とか和らげて少しでも楽にしてやりたいとの思いで医師の言葉を受け取ったことは想像に難くない。 今回の例に限らず医療に関する説明は理解しづらい。 説明を受けても何のことかよく分からなかった、といった経験はだれでもあろう。 医師、医療機関には患者に対し丁寧さが欠けてはいないか。 坂口力厚労相は事件に関連して「医療を提供する側が優位に立ち、権力主義的になりがちな面があるが、一番大切なのは患者に接する姿勢だ」と述べ、さらに「それがなければ『ごう慢』の一言」と批判している。 関係者は真摯に受け止めてほしい。 ところで「患者の妻に頼まれ、家族の了承も得ていた」とする医師の主張が事実だった場合、医師の行為は安楽死として容認され得るか。 「患者の耐え難い苦痛」「本人の意思表示」など安楽死の四要件(横浜地裁判決)を満たしていない以上、板倉宏日大教授は「殺人罪に当たる」とみる。 一方で、土本武司筑波大名誉教授のように「四要件は一地裁の判断にすぎない」として安楽死の可能性があるとする見方も出ている。 しかし、安易に要件を緩めるべきではなかろう。 ともかく、なぜ致死量の鎮静剤を投与したのかなど謎が多い。 医師の行為と死との因果関係を詳しく調べ、真相を解明すべきだ。 医療現場で、よもや命が軽くとらえられているようなことはないと信じたい。 だが、その不安がなかなか消えない。 これらが同病院だけのものではなく、医療界共通の課題であることにも留意したい。 事件の捜査は神奈川県警が殺人罪を視野に入れて進めている。 「患者の気管内チューブを抜いたことで死期が早まった。 直接の死因は主治医が投与した筋弛緩剤」とする大学教授の鑑定が出された。 同県警は、この鑑定で主治医の行為と死亡との因果関係が裏付けられたとして主治医から事情聴取、殺人容疑で立件する方向のようだ。 そもそも、家族が治療行為と思ったという、抜管など主治医の一連の行為の目的は一体何だったのか。 患者を楽にするため? それとも独断で治療を打ち切ったのか。 そこを冷静に見定める必要があろうが、事件の原因や問題点を探る二つの報告書が公表された。 病院の内部調査委員会の最終報告書と、医療の専門家や弁護士などによる外部評価委員会の報告書だ。 内部調査委の最終報告によると、「主治医が気管内チューブを抜いたのは呼吸困難に陥らせて死亡させるため」で、その後の鎮静剤と筋弛緩剤の投与で、より確実に死に至らしめた。 患者の容体は死が切迫していたとは言えないという。 大学教授鑑定とほぼ同じ判断である。 抜管が医師側の主張のように家族の要請だったかどうかは双方から聴取できず不明。 この点は捜査による解明を待つしかあるまい。 外部評価委の報告も注目される。 「医療の民主化と安全文化」について言及。 事件を起こすに至った要因は川崎協同病院に特異的なものでなく、わが国の病院に潜在的に存在している組織構造にあると言う。 チーム医療が欠如、インフォームドコンセント(十分な説明と同意)も不十分だったことが事件の背景にあり、単に一医師が引き起こしたとは断定し難いと指摘。 インフォームドコンセントに関するガイドラインも倫理委員会もないという、お寒い状態だったのである。 当初、「安楽死」論議も一部にあった。 しかし、安楽死容認の立場に立つとしても、最低限の条件である患者本人の意思表示はなかったのだから、主治医の行為がそれに当たらないのは明らかであろう。 ただ、終末期医療の在り方に問題があったのは間違いない。 終末に際し、どういう医療が最も適切で望ましいのか。 そこをないがしろにしていたと言われても仕方なかろう。 外部評価委の報告書も終末期医療について、「生命の終了には非常に難しい問題があり、しかも誤った結果は殺人という非常に厳しい結果となることを理解し、終末期の医療を行う必要がある」と重要性を強調。 「悩み、相談し、合議の上で行うべきだ」と訴えている。 患者、家族、医師、看護師らがきちんと話し合えるようにしたい。 川崎協同病院の事件は「患者のための医療」という意識が依然として薄い実態を照らし出して見せた。 そこには医療界に共通していると思われる、さまざまな課題がある。 医師が看護師より上位に立つことによるコミュニケーション不足の解消。 医療者全体で患者情報を共有化する取り組み。 倫理委員会での十分な討議。 患者家族との緊密なコミュニケーションを心掛けること…。 欠かせないものばかりである。 患者の犠牲の上に立った教訓だ。 医療界の真摯な対応を願う。 主治医を殺人容疑で逮捕 川崎・筋弛緩剤投与事件 asahi. 調べに対し、須田医師は、家族の要請を受けて死期を早めるための「正当な医療行為だった」と主張し、「内容が違う」と容疑を否認しているという。 調べでは、須田医師は98年11月16日夜、気管支ぜんそくの発作で入院し、意識がなかった公害病患者の男性(当時58)=川崎市川崎区=から呼吸を助ける気管内チューブを抜き、2種類の鎮静剤を投与し、さらに筋弛緩剤を投与して呼吸筋弛緩で窒息死させた疑い。 最大の焦点は、患者の状態をどう判断するかにあった。 入院当時、須田医師は、家族に「9割9分9厘、脳死状態」で「チューブを抜くと最期になる」と説明。 4月に事件が発覚した後は、家族の希望でチューブを抜き、「苦痛を和らげるため」に筋弛緩剤を投与したと主張していた。 県警は、鑑定や専門医の話から、自発呼吸があり、脳死状態になく、「余命がなかったとは考えられない」と判断。 チューブを抜いた後、人工呼吸器を用意しないで筋弛緩剤を投与すれば死亡することは医師なら分かったはず、とした。 須田医師の弁護団は事件発覚後、「家族の要請で治療行為の継続を断念した」と主張したため、県警は「安楽死」に当たるかどうかも視野に入れた。 しかし、県警は「死期が迫っていなかった」ことや、生前に患者の意思を示す言動などはなく、「条件はすべてあたらない」と判断した。 チューブを抜く行為は、終末期に近い患者に自然に死を迎えさせるために医療現場で行われることもあるが、県警は今回の患者の状態から、一般にされている「治療の中止」という方法にもあたらないとみて容疑事実に入れたとみられる。 また、県警はこの日の会見で動機について「今後調べる」と述べるにとどまった。 須田医師の弁護団は発覚当初、植物状態での介護に悩んでいた家族の意をくんだ、と説明したが、県警は家族の聴取から「最期の認識があった人は一人もいなかった」とし、「植物状態」も否定している。 県警は、当時の看護記録やカルテ、看護師らの証言などから、須田容疑者が気管内チューブを抜いたこと(抜管)で男性患者を呼吸困難に陥らせ、最終的に筋弛緩剤を投与して死亡させたと判断した。 家族へのインフォームド・コンセント(十分な説明と同意)もなかったとみている。 須田容疑者は容疑について、「だいぶ違う」と否認しているという。 医師が医療行為に関連して殺人容疑で逮捕されるのは異例で、同課は逮捕と同時に、川崎臨港署に特捜本部を設置した。 調べによると、須田容疑者は同月16日午後5時半ごろ、気管支ぜんそくの発作で入院中の男性患者に挿入されていた気管内チューブを抜き取ったうえ、鎮静剤、筋弛緩剤を立て続けに投与し、同日午後7時10分ごろ、筋弛緩剤の投与による呼吸筋弛緩で窒息死させた疑い。 男性患者は同月2日、気管支ぜんそくの発作で同病院に運ばれ、一時は心肺停止状態に陥った。 心肺蘇生(そせい)で心拍は再開したが、その後も重度の意識障害が続いていた。 これについて、須田容疑者は同月8日、家族に「9割9分9厘は脳死状態」と説明。 抜管前、「チューブを抜くと最期になる。 家族の皆さんの確認が必要」と家族の希望を確認したうえで抜管し、筋弛緩剤を投与したとしていた。 その理由について、須田容疑者は県警の任意の事情聴取に「筋弛緩剤の投与は苦しそうな呼吸を楽にするため」「死なせることが目的でなかった」と説明していた。 医療行為を逸脱した殺人容疑が裏付けられたとしている。 東海大病院の医師が、末期がん患者に塩化カリウムなどを注射して殺人罪に問われた事件で、横浜地裁は95年、安楽死が許容される4要件を示したが、県警は、今回のケースは「安楽死」のいずれの要件にも当たらないとしている。 手術の麻酔時や気管内に管を挿入する際などに使われるが、用法を間違えると心停止や呼吸停止を起こす恐れがある。 1992年から93年に主婦ら5人が殺害された大阪の愛犬家連続殺人事件で犯行に使われたほか、昨年1月に発覚した仙台市の准看護師による患者の殺人・殺人未遂事件でも、点滴に筋弛緩剤が混入されたとされ、現在公判中。 県警は、回復の見込みはないとして独断で治療を打ち切り、呼吸維持の気管内チューブを抜き、鎮静剤と筋弛緩剤を投与して死期を早めた一連の行為は、医療行為を逸脱した殺人と判断。 川崎臨港署に捜査本部を設置した。 カルテには植物状態になった場合の家族の介護負担などに触れた記述もあり、詳しい動機の解明と殺意の立証を進める。 同医師は「だいぶ内容が違う」と容疑を否認したという。 両者のあるべき関係が問われた川崎協同病院(川崎市川崎区)の筋弛緩(しかん)剤投与事件は4日、殺人容疑での主治医の逮捕という局面を迎え、医療関係者に衝撃が広がった。 誤った病状説明と救命治療の放棄、家族の思いと医師の受け止め方との溝。 事件には、医療現場の抱える危うさが凝縮されている。 その行為を「医療行為」と主張し、筋弛緩剤を投与した理由を「チューブを抜いた後の苦しそうな呼吸を鎮めるため」と話していた。 しかし県警は、人工呼吸器を準備せずに筋弛緩剤を投与したこと自体を、殺意を示す状況と判断した。 さらに、病院側も、事件当時は患者の容体が安定していたことを認め、抜管などは正当化できないとの見解を示した。 水口公信・千葉大名誉教授(麻酔学)は「筋弛緩剤を投与すると患者は呼吸ができなくなる。 そのため医師は人工呼吸器などで呼吸を支える処置をしなければならない。 人工呼吸器なしに筋弛緩剤を使うというのは医学的にみて非常識」と指摘する。 須田容疑者は98年11月16日午後6時すぎ、病室で、12人の家族が見守る中、男性患者(当時58歳)の気管内チューブを抜いた。 患者は、苦悶(くもん)の表情を浮かべ上体を反らせたという。 その直後、須田容疑者はナースステーションにいた同僚医師に相談した。 「鎮静剤を使っても呼吸(状態)が下がらない。 あとは何を使えばよいのか?」。 同僚は筋弛緩剤をアドバイスしたが、当然、人工呼吸装置をつけていると思い込んでいたという。 須田容疑者は患者の病状について、家族にそう説明していた。 カルテには、自分の心情をこう書き留めている。 「家族も患者がかわいそうとのことで覚悟をきめられつつある。 あまり汚れないうちに終わりにしてあげたい」 しかし患者は、意識はなかったものの自発呼吸ができる状態で、「脳死」は明らかに誤った説明だった。 日本医師会によると「自発呼吸をしている患者を脳死と判断できないのは当然。 医師ひとりの判断で脳死と決めることなど普通はない」という。 カルテには「Family(家族)より抜管希望強し」との記載まであるが、県警の事情聴取に「患者を死なせることを医師に求めたことはない」と話した。 県警は、須田容疑者と遺族との間でインフォームド・コンセント(十分な説明に基づく同意)が十分でなかったとみている。 終末医療に詳しいある医師は話す。 「家族の意志を詳しく確かめもせずに、主観的な同情心で患者の生死を決めたとするとあまりに独善的。 医療以前の問題だ」 須田容疑者の逮捕の報せを聞いた男性患者の二男は「来る日が来た。 今は複雑な気持ちで、一言で言い表すのは難しいが、再スタートになった。 真実を明らかにしてもらいたい」と語った。 カルテの主な内容は次の通り。 (一部抜粋) <98年11月3日午前3時> 看護記録「自発呼吸しっかりしてきている」 <5日> 医師記録「fever(熱)、Bp(血圧)高め、自発(呼吸)もできている。 ある程度生命的にはのりきれそうだが…その先は…」 <8日> 看護記録「四肢硬直強い。 やはり脳の回復は期待できず」。 主治医病状説明「9割9分9厘は脳死状態でしょう。 生命的にはおちついてきた。 最悪の植物状態となり、安定すれば一旦退院方向もありえる」 <11日> 医師記録「family(家族)もpt(患者)がかわいそうでみてられないとのことで覚悟をきめられつつある。 あまり汚れないうちに終わりにしてあげたい」 <13日> 看護記録「Fa(家族)にムンテラ(面談)し、Faはあきらめた様子でナチュラルコースである。 点滴漸減していく方向」 <15日> 看護記録「呼吸状態安定」 <16日> 医師記録「Familyより抜管希望強し。 大変つらいが夕方family集まってから抜管することとする。 PM6:03familyの了承を得て抜管。 努力呼吸著明。 とてもみていられず。 セルシン(鎮静剤)10mg iv(静脈注射).するも効なし。 ドルミカムiv.もやはり効なし。 6A(アンプル)iv.でも努力様つづく。 7時前 ミオブロック点滴静脈内注入行う。 永眠され安らかな顔になられる」 注=ドルミカムは鎮静剤、ミオブロックは筋弛緩剤。 また須田医師は看護師に「抜管は患者の家族の希望」などと伝え、看護師はそのまま看護記録に記載していたことも判明。 捜査本部は、須田医師が患者の回復の見込みはないとし、殺人の起点となった抜管を独断で決意した疑いがあるとみて調べている。 川崎臨港署捜査本部は、須田容疑者が家族の意思を確認しないまま死に至る措置をしたことを裏付ける証言とみている。 須田容疑者は98年11月16日、患者の気管内チューブを抜いて鎮静剤と筋弛緩剤を投与、窒息死させた疑いで4日に逮捕された。 これまでの県警の聴取に「抜管すると呼吸が弱くなります。 最期を見守ってあげて下さい」などと説明してチューブを抜いたと主張している。 同容疑者の弁護士は「(この説明は)抜管すれば亡くなることを前提としていた」と言う。 だが病室にいた遺族、看護師はこれまでの聴取に「そのような説明はなかった」と証言しているという。 事件当日の看護記録には「fa(妻)より希望あり挿管チューブ抜管して欲しいとの事」との記載がある。 だが看護師は「家族の希望であることは医師(須田容疑者)から聞いてそう記録した。 自分が家族から聞いたわけではない」と証言していることも分かった。 須田容疑者は「9割9分9厘は脳死状態でしょう」と家族に伝えていた点について「医学的に脳死とみていたわけではない。 分かりやすくするため脳死の言葉を使った」と県警に説明。 「(筋弛緩剤投与で)死期を早めることは分かっていた」と話しているという。 筋弛緩剤をめぐっては、看護師の看護記録に使用量が記録されているが、医師のカルテには使用量が記載されていないこともわかっており、神奈川県警は、須田容疑者が発生当初、投与の具体的な事実を隠そうとした可能性もあると見て調べている。 調べによると、指示箋は、医師が看護師らに点滴、注射などの薬剤調達を指示する際に使用する4枚つづり伝票で、本来は、医師がカルテに添付するほか、医事課にも提出。 これをもとに診療報酬請求書(レセプト)が作成されることになっている。 しかし、男性患者が死亡した1998年11月16日のカルテには、栄養剤点滴などの指示箋が添付されていたにもかかわらず、筋弛緩剤と2種類の鎮静剤(「セルシン」「ドルミカム」=いずれも商品名)の指示箋は添付されていなかった。 看護師が記録した看護記録にはこの3種類が投与された事実が量と共に記録されているが、男性患者に投与された筋弛緩剤とドルミカムについては、指示箋がないため、レセプトに記載されておらず、病院からの診療報酬が請求されていないままになっている。 筋弛緩剤の投与については、今年4月、男性患者の死亡が筋弛緩剤の投与によるものであることが病院側によって公表されるまで、当時の幹部の意向もあり、約3年半にわたって、伏せられていた。 また、須田容疑者は今年2月、病院側から「法的に殺人事件の可能性がある」として捜査機関に出頭するよう勧められていたが、これに応じなかった。 このほか、薬剤の使用記録をめぐっては、須田容疑者が記入したカルテに「セルシン」の使用量は記載されているものの、筋弛緩剤と「ドルミカム」については使用の事実が記録されているだけで、量の記載がないこともわかっている。 神奈川県警川崎臨港署の特捜本部は5日午後、須田容疑者が所長を務めている横浜市港北区内の診療所を、殺人容疑で捜索した。 診療所には「本日休診」のプレートがかけられていた。 川崎の筋弛緩(しかん)剤事件で、殺人容疑で逮捕された医師須田セツ子容疑者(48)はカルテに心情をつづり、事件の4日前から積極的な治療を控えていた。 患者が植物状態になった場合の家族の負担や本人の尊厳を思ったのか。 同僚の医師らは彼女が一人、重大な判断をしようとしていることに気づかなかった。 患者を自宅に帰せますか」。 須田医師は事件直後、当時の院長にそう主張したとされる。 川崎協同病院はベッド数約270、スタッフ約400人を抱える大病院。 患者は1998年11月2日、気管支ぜんそくの発作から心肺停止状態で入院し、一命は取り留めたが意識は戻らなかった。 同4日に主治医になった須田医師は「9割9分は植物状態」と家族に説明。 5日のICU退室サマリと呼ばれる看護記録には「ワイフより 家族で介護する余裕がない」とある。 その後の8日、同医師はさらに「9割9分9厘は脳死状態」と説明し、患者が植物状態になれば在宅介護の可能性があることを家族に伝えた。 あまり汚れないうちに」。 11日のカルテには患者の「尊厳」を意識したかのような記述があり、12日以降は輸液を減らすなど積極的な治療を控えた。 13日の看護記録には「ファミリーはあきらめた様子でナチュラルコースである」。 ナチュラルコースとは、末期患者の延命治療をしないことを指す。 病室に集まった家族十数人の前で、須田医師は気管内チューブを抜いた。 呼吸困難に陥った患者は激しくもがいた。 家族は悲鳴を上げ、病室はパニックに。 同医師は2種類の鎮静剤を大量に投与したが、効かなかった。 「呼吸が下がらないのよ」。 予想外の事態だったのか、急きょ看護師に筋弛緩剤を取りに行かせた。 「私がやるんですか」。 経験期間1年7カ月の准看護師がためらうと、同医師は「使ってちょうだい」と指示。 筋弛緩剤を一気に静脈注射された患者は数分後に息を引き取った。 「楽にしてあげるからね」「そんなに頑張らなくていいのよ」。 筋弛緩剤投与の前後、須田医師は患者の両肩に手を置き、こう語り掛けたという。 事件直前、須田医師は家族に「九割九分九厘脳死」と説明しており、県警はなぜこうした説明をしたのか調べている。 看護記録などによると、患者が死亡する8日前、須田医師は「九割九分九厘は脳死状態でしょう」と家族に説明した。 しかし、県警が逮捕前に任意で事情を聴いたときに、須田医師は事実と異なる病状説明をしたという認識はあったという。 須田医師は「家族からチューブを抜いてほしいとの要請があった」と県警に説明している。 事実と異なる説明をすることで、須田医師は家族に死を覚悟させようとした可能性もあると県警はみている。 また、任意の調べの中で、須田医師は患者の気管内チューブを抜き、鎮静剤や筋弛緩剤を投与したことについて「死期を早めると分かっていた」と話した。 死期が迫る患者の治療行為を中止していく終末期医療を施す認識だったことを示唆したとみられる。 一方、チューブを抜いた際に、須田医師が「家族に、抜くと最期になると説明した」と主張している点について、家族も立ち会った看護師も「説明は聞いていない」と述べているという。 事件当日の看護記録に「家族(妻)より希望あり。 挿管チューブ外してほしいとの事」と記載されているが、看護師は家族から直接聞いたのではなく、須田医師から聞いて書いたと話しているという。 県警は抜管が「殺害行為の着手」にあたるとみており、死亡の8日前に抜管を決断した経緯に注目して調べている。 県警や同病院の内部調査委員会によると、男性は心肺停止状態で同月2日に入院したが、6日には、自発呼吸するようになり、人工呼吸器が取り外された。 にもかかわらず、須田容疑者はその2日後の8日、家族に対し、「9割9分9厘は脳死状態」と説明。 カルテには「高気圧酸素療法を予定するが、あまり期待できず」と記載していた。 高気圧酸素療法は、脳梗塞(こうそく)やガス中毒などの患者に、治療装置内でより多くの酸素を送り込む療法。 カルテによると、同10、11の両日、須田容疑者は男性にこの療法を施したが、11日、男性がけいれんを起こしたため中断した。 結局、須田容疑者は同16日、男性の気管内チューブを抜いたうえ、筋弛緩剤を投与して死亡させた。 県警は家族がこの間、「抜管を頼んでいない」と一貫して説明していることを重視。 さらに、須田容疑者が抜管を決めた経緯などを詳しく調べるが、須田容疑者は抜管については他の医師や看護師にも事前に説明していなかったという。 家族に対するインフォームドコンセント(十分な説明と同意)をめぐっては、同委員会も「大きな問題がある」と最終報告で指摘。 須田被告は調べに対し「本人と家族のために延命を中止した」と供述し、違法性を否定している。 起訴状などによると、須田被告は98年11月16日午後6時ごろ、ぜんそくの男性患者(当時58歳)の家族を立ち会わせ、自発呼吸を助けていた気管内チューブを抜いた。 さらに准看護師に指示して筋弛緩剤「ミオブロック」6ミリリットルを静脈注射させ午後7時11分、呼吸筋の弛緩で窒息死させた。 調べに対し、須田被告は抜管、筋弛緩剤投与によって患者の死期が早まると認識していたことを認めつつ「家族が要望、承諾していたので違法性や責任を問われる行為ではない」と供述している。 だが家族側は「頼んでいない」と否定。 被告が抜管に先立ち説明したと主張する「最期を迎える」との説明は、家族だけでなく、病室に立ち会った看護師も「聞いていない」と証言している。 地検は、被告独自の考え方から、回復困難とみていた患者を延命させるより穏やかに死なせる方が本人と家族のためだと勝手に思い込んだとみている。 また、死期が早まると認識していたのだから、明確な殺意があったと判断した。

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終末期医療を考える 川崎協同病院事件①

川崎 協同 病院 事件

前稿では、川崎協同病院の症例の経過を、東京高等裁判所の判決文からわかる範囲で追った。 平成10年11月2日、当時58歳の男性が気管支喘息の重責発作を起こし、心肺停止状態で川崎協同病院に運び込まれ、救命措置により心肺は蘇生したが、意識は戻らず、人工呼吸器が装着されたまま、ICU(集中治療室)入院となったが、家族の希望により医師が気管内チューブを抜管したことが、患者さんが亡くなってから約3年後に事件化された事例である。 今回は、東京高裁の裁判官が、この事例を、どのような理論構築で殺人罪という結論に導いたかを追ってみたい。 裁判官は、治療中止を適法とする根拠としては、『患者の自己決定権』と『医師の治療義務の限界』が挙げられるとして、この二つのアプローチを仮定し、本件がいずれかの観点から適法とすることができるか否か、できないなら殺人罪の成立を認めざるを得ないことになる、という理論を組み立てている。 この理論に沿って、まず患者の自己決定権からのアプローチの場合を述べているが、「終末期において患者自身が治療方針を決定することは、憲法上保障された自己決定権といえるかという基本的な問題がある」と、冒頭から、大きな疑問を投げかけている。 これに対する答えは述べずに、本件のように急に意識を失った者については、元々自己決定ができないことになるから、1)家族による自己決定の代行か、2)家族の意見等による患者の意思推定かのいずれかによることになるとして、患者本人による自己決定から家族による判断へと論点が移る。 1)前者については、家族による自己決定の代行は認められないと解するのが普通であること、家族の経済的・精神的な負担等の回避という思惑がつきまとってしまうため、患者による自己決定ではなく家族による自己決定にほかならないことを挙げて、否定せざるを得ないとしている。 2)後者については、患者の推定的意思の確認といってもフィクションにならざるを得ない、意識を失う前の日常生活上の発言等は、そのような状況に至っていない段階での気楽なものととり得るとして、やはり否定している。 このように、自己決定権という第一のアプローチによって、治療中止を適法とするには限界があると述べている。 次に、医師の治療義務の限界からのアプローチを追っていこう。 このアプローチは、医師には無意味な治療や無価値な治療を行うべき義務がないという理論であるが、これが適用されるのは、かなり終末期の状態であり、医療の意味がないような限定的な場合であって、広く適用することは無理があるとしながらも、未解決の問題点を列挙している。 1)どの段階を無意味な治療と見るのか問題がある、つまり、救命の可能性がない段階という時点を設定しても、救命の可能性というものが、常に少しはある、例えば、10%あるときは、どうなのか、それとも0%でなければならないのかという問題がつきまとうし、脳死に近い不可逆的な状況ということになれば、その適用はかなり限定され、尊厳死が問うている全般的局面を十分カバーしていない、2)少しでも助かる可能性があれば、医師には治療を継続すべき義務があるのではないかという疑問も克服されていない、3)医師として十中八、九助からないと判断していても、最後まで最善を尽くすべきであるという考え方は、単なる職業倫理上の要請にすぎないといえるのかなお検討の余地がある、4)治療義務限界説によれば、治療中止を原則として不作為と解することが前提となる点でも、必ずしも終末期医療を十全に捉えているとはいい難い、というように、いずれもすぐには国民のコンセンサスには至らない難題ばかりだ。 しかし、これだけ多くの未解決の問題点を提示しながらも、医師の治療義務の限界という理論が適用されるのは、かなり終末期の状態であり、医療の意味がないような限定的な場合という前提に立ち、本件患者の余命の鑑定に基づいて、抜管時点で約1週間後に死に至るのは不可避であったとはいえず、死期が切迫していたとは認められないとして、医師の治療義務の限界という第二のアプローチによっても治療中止を適法とはできないとしている。 根拠とされた余命の鑑定は、約1週間、約3か月、最大数年、介護の状況によりその年数は異なる、いやそれよりもっと短い、といった程度の、医学的にはおよそ意味のない推論でしかなく、要するに「わからない」のだから、あまり納得できる説明とはいえないだろう。 さらに判決文は、いずれのアプローチにも解釈上の限界があり、尊厳死の問題を抜本的に解決するには尊厳死法の制定ないしこれに代わり得るガイドラインの策定が必要であろうと述べ、「裁判所は、当該刑事事件の限られた記録の中でのみ検討を行わざるを得ない」、「この問題は、国を挙げて議論・検討すべきものであって、司法が抜本的な解決を図るような問題ではない」とまで記載している。 この事例のような個別の医療の状況を、無理に刑法に当てはめて裁くことの困難さを十分に理解し、法の限界を知りながらも、司法手続きに縛られるしかなかった裁判官の苦悩が読み取れる。 しかしながら、最終的には、自らが疑問を提起したアプローチに仮定的に依拠して、「いずれのアプローチからしても、本件医療中止行為は法的には許容されないものであって、殺人罪の成立が認められるといわざるを得ない」と結論している。 現時点で、裁判官が判断のよりどころとすべき法律も国民のコンセンサスも存在しない、グレーゾーンにある事例であることは確かであろう。 困難な判断を迫られた裁判官の苦悩も理解できるが、一方で、このような事例において殺人罪の成立が認められてしまうのであれば、現場で働く医療者としては、主治医として関与している患者の病気についての願いを汲んで治療にあたることすらできず、患者の死を受け止め、家族の感情や願いを受け止めることもできなくなってしまう。 どんな法やガイドラインを作っても、全国一律のルールに当てはまらないグレーゾーンの患者・家族は必ず存在する。 そのような人々に寄り添いながら刻々と変化する病状に応じて誠実に対応した医療者を罰することによって結果として萎縮医療を招くことが、患者・家族、そしてすべての国民にとって、好ましいこととは思えない。 umin. html)。 また、ガイドライン策定に期待する向きもあるようだが、全国一律のルールに当てはまらない患者・家族に寄り添い、否応なく訪れる死を患者・家族と共に迎えることが、即ち、逮捕・起訴され、一生犯罪者として扱われることを意味するのであれば、ガイドライン策定によって、医療崩壊は更に促進するのではないか。 これについては、稿を改めて述べることにする。 医療の領域においては、一律のルールを定め、当てはまらなければ罪を問うような解決方法には限界がある。 むしろ、個別ケース毎の多様な臨床経過と患者・家族のニーズから出発し、様々な可能性の中から当事者自身が最善と思われる解決を自律的に模索していくという対話自律型ADRの確立が求められている。 対話自律型ADRこそ状況即応的で、ニーズ応答的で、そして医療者と患者の関係を、悲嘆を超えてつないでいく、有意義な効果を持ちうる解決方法として、大いに期待している。 umin. umin. html) (参考)この判決文は、大変深い洞察と示唆に富む貴重な考察が述べられている。 ぜひご一読いただき、皆様の考察に役立てていただきたい。 )がいかなる要件の下で適法なものと解し得るかを巡って、現在さまざまな議論がなされている。 治療中止を適法とする根拠としては、患者の自己決定権と医師の治療義務の限界が挙げられる。 (イ)まず、患者の自己決定権からのアプローチの場合、終末期において患者自身が治療方針を決定することは、憲法上保障された自己決定権といえるかという基本的な問題がある。 通常の治療行為においては患者の自己決定権が最大限尊重されており、終末期においても患者の自己決定が配慮されなければならないとはいえるが、患者が一旦治療中止を決定したならば、医師といえども直ちにその決定に拘束されるとまでいえるのかというと疑問がある。 また、権利性について実定法上説明ができたとしても、尊厳死を許容する法律(以下「尊厳死法」という。 )がない状況で、治療中止を適法と認める場合には、どうしても刑法202条により自殺関与行為及び同意殺人行為が違法とされていることとの矛盾のない説明が必要となる。 そこで、治療中止についての自己決定権は、死を選ぶ権利ではなく、治療を拒否する権利であり、医師は治療行為を中止するだけで、患者の死亡自体を認容しているわけではないという解釈が採られているが、それはやや形式論的であって、実質的な答えにはなっていないように思われる。 さらに、自己決定権説によれば、本件患者のように急に意識を失った者については、元々自己決定ができないことになるから、家族による自己決定の代行か家族の意見等による患者の意思推定かのいずれかによることになる。 前者については、代行は認められないと解するのが普通であるし、代行ではなく、代諾にすぎないといっても、その実体にそう違いがあるとも思われない。 そして、家族の意思を重視することは必要であるけれども、そこには終末期医療に伴う家族の経済的・精神的な負担等の回避という患者本人の気持ちには必ずしも沿わない思惑が入り込む危険性がつきまとう。 なお、このような思惑の介入は、終末期医療の段階で一概に不当なものとして拒否すべきであるというのではない。 一定の要件の下で法律にこれを取り入れることは立法政策として十分あり得るところである。 ここで言いた いのは、自己決定権という権利行使により治療中止を適法とするのであれば、そのような事情の介入は、患者による自己決定ではなく、家族による自己決定にほかならないことになってしまうから否定せざるを得ないということである。 後者については、現実的な意思(現在の推定的意思)の確認といってもフィクションにならざるを得ない面がある。 患者の生前の片言隻句を根拠にするのはおかしいともいえる。 意識を失う前の日常生活上の発言等は、そのような状況に至っていない段階での気楽なものととる余地が十分ある。 本件のように被告人である医師が患者の長い期間にわたる主治医であるような場合ですら、急に訪れた終末期状態において、果たして患者が本当に死を望んでいたかは不明というのが正直なところであろう。 このように、自己決定権による解釈だけで、治療中止を適法とすることには限界があるというべきである。 (ウ)他方、治療義務の限界からのアプローチは、医師には無意味な治療や無価値な治療を行うべき義務がないというものであって、それなりに分かりやすい論理である。 しかし、それが適用されるのは、かなり終末期の状態であり、医療の意味がないような限定的な場合であって、これを広く適用することには解釈上無理がある。 しかも、どの段階を無意味な治療と見るのか問題がある。 結果回避可能性のない段階、すなわち、救命の可能性がない段階という時点を設定しても、救命の可能性というものが、常に少しはある、例えば、10%あるときは、どうなのか、それとも0%でなければならないのかという問題がつきまとう。 例えば、脳死に近い不可逆的な状況ということになれば、その適用の余地はかなり限定され、尊厳死が問うている全般的局面を十分カバーしていないことになる。 少しでも助かる可能性があれば、医師には治療を継続すべき義務があるのではないかという疑問も実は克服されていない。 医師として十中八、九助からないと判断していても、最後まで最善を尽くすべきであるという考え方は、単なる職業倫理上の要請にすぎないといえるのかなお検討の余地がある。 しかも、治療義務限界説によれば、治療中止を原則として不作為と解することが前提となる点でも、必ずしも終末期医療を十全に捉えているとはいい難い。 本件でも、ミオブロックの投与行為は、明らかに作為というべきで、これもまた治療行為を中止する不作為に含めて評価するのは、作為か不作為かという刑法理論上の局面に限れば、無理があると言わざるを得ない。 (エ)こうしてみると、いずれのアプローチにも解釈上の限界があり、尊厳死法の制定ないしこれに代わり得るガイドラインの策定が必要であろう。 すなわち、尊厳死の問題は、より広い視野の下で、国民的な合意の形成を図るべき事柄であり、その成果を法律ないしこれに代わりえるガイドラインに結実させるべきなのである。 そのためには、幅広い国民の意識や意見の聴取はもとより、終末期医療に関わる医師、看護師等の医療関係者の意見等の聴取もすこぶる重要である。 世論形成に責任のあるマスコミの役割も大きい。 これに対して、裁判所は、当該刑事事件の限られた記録の中のみで検討を行わざるを得ない。 むろん、尊厳死に関する一般的な文献や鑑定的な学術意見等を参照することはできるが、いくら頑張ってみてもそれ以上のことはできないのである。 しかも、尊厳死を適法とする場合でも、単なる実体的な要件のみが必要なのではなく、必然的にその手続的な要件も欠かせない。 例えば、家族の同意が一要件になるとしても、同意書の要否やその様式等も当然に視野に入れなければならない。 医師側の判断手続やその主体をどうするかも重要であろう。 このように手続全般を構築しなければ、適切な尊厳死の実現は困難である。 そういう意味でも法律ないしこれに代わり得るガイドラインの策定が肝要なのであり、この問題は、国を挙げて議論・検討すべきものであって、司法が抜本的な解決を図るような問題ではないのである。 (オ)他方、国家機関としての裁判所が当該治療中止が殺人に当たると認める以上は、その合理的な理由を示さなければならない。 その場合でも、まず一般的な要件を定立して、具体的な事案の解決に必要な範囲で要件を仮定して検討することも許されるというべきである。 つまり、前記の二つのアプローチ、すなわち患者の自己決定権と治療義務の限界の双方の観点から、当該治療中止をいずれにおいても適法とすることができなければ、殺人罪の成立を認めざるを得ないことになる。 ここで重要なのは、いずれのアプローチが適切・妥当かということを前提とするのではなく、単に仮定しているということである。 いずれかのアプローチによれば、もちろん、双方によってでもよいが、適法とするにふさわしい事案 に直面したときにはじめて、裁判所としてその要件の是非を判断すべきである。 ことに本件については、以下に述べるように、いずれのアプローチによっても適法とはなし得ないと判断されるのである。 そうすると、尊厳死の要件を仮に定立したとしても、それは、結局は、本件において結論を導き出すための不可欠な要件ではない傍論にすぎないのであって、傍論として示すのは却って不適切とさえ いえよう。

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