悪魔 の いけ に え 実話。 日本にも悪魔はいる!? オカルト研究家が語る日本のエクソシズムの実態とは!?

アントラム史上最も呪われた映画は実話なのか?除霊失敗に影響あり?|CINEMA Adjust

悪魔 の いけ に え 実話

アンネエリーゼ・ミシェル(ミハエル) 生誕 アンネ・エリザベート・ミハエル 1952-09-21 旧、、ライプルフィング 死没 1976-07-01 (23歳) 旧ドイツ連邦共和国、バイエルン州、クリンゲンベルク・アム・マイン 宗教 アンネエリーゼ・ミシェル :Anneliese Michel ドイツ語読み:アンネリーゼ・ミハエル — はにの儀式・を受けたドイツ人の女性で、この年の翌年、に逝去した。 この事件で行われた悪魔祓いの儀式は、400年前の儀式書によるもので、そのいくつかは18世紀以来、滅多に見られないものであり、このようなカトリック教会の異例とも言える決定がマスコミの注目を浴びた。 映画 「」 はこの事件をモチーフとして取り入れている。 精神医学の世界ではこの事件を精神障害の誤認、怠慢、虐待、そして宗教的ヒステリーの一例として挙げられている。 なお、儀式の最中アンネリーゼに取り憑いたとされる「悪魔」はカトリック教会の重要な問題について様々なことを語ったとされている。 幼年期・学生時代 [ ] アンネリーゼ・ミッシェルこと、アンナ・エリザベート・ミハエル又はアンネリーゼ・ミハエル は1952年9月21日に旧ドイツ連邦共和国、バイエルン州、ライプルフィングのカトリック信徒の家庭に生まれた。 アンネリーゼはヨゼフとアンナ夫妻と3人の姉妹たちの元で育った。 彼女はとても信心深く、教会のミサに週に2度、通っていた。 ミッシェルは16歳の時、激しい痙攣に悩まされ、側頭葉てんかんであると診断された。 1973年、アンネリーゼは高校を卒業し、に進学した。 後に同級生たちはアンネリーゼについて「引っ込みじあんだが、とても信心深い」と語っている。 精神医学的治療 [ ] 6月、アンネリーゼは、入院していた精神病院で発作を3回起こし、悩まされていた。 アンネリーゼは、この時初めて薬を含む痙攣に効く薬の処方をされた。 この薬はに類似しており、を含む様々なや、精神障害のある行動をする患者に処方されるものである。 アンネリーゼは1日の様々な時間帯で「悪魔の顔」が見えると話し始めた。 その同じ月にアンネリーゼはプロペリシアジン薬を処方された。 この薬もに類似したもので、同じように精神分裂症などの精神病や精神障害行動のある患者に処方される。 アンネリーゼの症状は妄想を起こす精神状態だと考えられていた。 にアンネリーゼは、うつ病の症状になり、アンネリーゼは祈っている間に幻聴がすると訴え始め、彼女が「呪われている」「めちゃくちゃ腐っていく」と言う声が聞こえ、これに悩まされた。 精神病院での処置でアンネリーゼの病状は回復に向かうことはなく、ますます悪化して行った。 長期治療も何の効果もなく、アンネリーゼは医学的治療にますます失望感を募らせた。 信心深いカトリック信徒である彼女は、この症状は悪魔によるものだと考え始めた。 アンネリーゼはキリスト教に関する場所や十字架のような聖品に拒否反応を示すようになった。 アンネリーゼは親しくしている友人と一緒にへ行った。 この地はカトリック教会非公認の「聖なる場所」であり、アンネリーゼとこの友人は、ここのような場所を定期的に巡礼していた。 アンネリーゼは、十字架を通り過ぎることができなくなったり、聖なる泉とされる場所からの湧水を飲むのに拒否するようになった。 これらの様子から、アンネリーゼと同行したこの友人は、アンネリーゼが悪魔に憑依されていると考えるようになった。 アンネリーゼとその家族もそのように確信するようになり、何人かのカトリック教会の司祭に相談し、悪魔祓いをして欲しいと頼んだ。 その司祭たちはこれを丁重に断り、医学的治療を続けるよう勧め、家族には悪魔祓いは司教の許可が必要なことを知らせた。 カトリック教会における悪魔祓いの公的な許可においては、ある特定の人物が、教会で悪魔が憑依している場合に見られると定めた条件に当てはまった場合に、ここで初めて、カトリック教会は「その人物が悪魔の憑依によって苦しめられ、悪魔に支配されている状態」だと見做す。 十字架のような教会関係の物に対する激しい嫌悪や、「超自然的な力」が見られるのは、悪魔に支配されている状態を示すいくつかの初期症状である。 アンネリーゼの身体的な症状は悪化し、自分自身の尿を飲んだり、昆虫を食べる行動をとるなど自己損傷に向かう攻撃的症状が見られるようになった。 11月には、アンネリーゼに対し 薬の投与が始められた。 これは発作を押さえ、激しい持続的な気分の変化を特徴とする気分障害、典型的な双極性障害の治療に用いられるである。 アンネリーゼには彼女が悪魔祓いの儀式を受けている期間にもの投与がされており、彼女が死亡する直前までそれらの薬を頻繁に服用していた。 悪魔祓いの儀式とアンネリーゼの死 [ ] ヨーゼフ・シュタング(Josef Stang)司教 1959年5月 :アンネリーゼに対する悪魔祓いの儀式を秘密裡に行うことを承認した。 アンネリーゼの両親に会った司祭のエルンスト・アルト Ernst Alt 神父は、アンネリーゼを見るとすぐに、「彼女は癲癇の患者とは似ていない」とし、そしてアルト神父はアンネリーゼが発作を起こしたところを見ていないと宣言した。 アルト神父は アンネリーゼが悪魔に支配されているために苦しんでいると確信し、地元の司教に対して悪魔祓いの儀式を許可してほしいと訴えた。 1975年にアンネリーゼが書いた神父宛ての手紙には「私には何でもありません。 私に関することはすべて、うぬぼれです。 私がすべきこと、私が解決しなければならない。 あなたは私のために祈ってくれる。 」そしてアンネリーゼは一度、神父にこう言った。 「私は、他の人のために苦しむことをのぞみます... しかし、これはとても残酷です。 」 1975年の9月、ヨーゼフ・シュタング(Josef Stang)司教は、司祭のアルノルト・レンツ Arnold Renz 神父がカトリック教会の1614年版儀式書に基づいて悪魔祓いの儀式を行うことを承諾し、但しこれは、秘密裡に行うよう命じた レンツ神父は同年9月24日に悪魔祓いの儀式で最初のセッションを行った。 アンネリーゼの両親は医学的治療を探すことを止めて悪魔祓いの儀式のみに頼ることとした。 悪魔祓いの儀式の67セッションは、1975年から1976年にかけて約10ヵ月間、1週間に1、2回のセッションが行われ、そのセッションは最高4時間かかるものだった アンネリーゼは「今日の我儘な若者たちや、現代におけるカトリック教会の背教的な司祭たちのために、死んで償うこと」について、話し始め、それは日を追うごとに増えていった。 そして最後まで食べることを拒んだ。 1976年7月1日にアンネリーゼが自宅で死亡した。 その の結果報告書によると、死因は悪魔払いの儀式が行われたほぼ一年半の間に、アンネリーゼが半飢餓状態となったことによる栄養失調と脱水であり 、アンネリーゼの体重は30キログラムで、連続して跪く礼拝をしたことで足の脛は骨折していた。 アンネリーゼは誰かの手を借りずに動くことができず、を病んでいたとしている。 起訴 [ ] 州の検察官は、この事件の調査をした後に、アンネリーゼの死亡は、その1週前にでも防止することが可能であったと主張した。 州当局は、にアンネリーゼの両親と悪魔祓いの儀式を行ったエルンスト・アルト Ernst Alt 司祭及びアルノルト・レンツ Arnold Renz 司祭をで起訴した。 この事件が法廷で争われている間、アンネリーゼの遺体は発掘され、彼女の死因とされた11ヵ月間以上の悪魔祓いについて、この儀式を録音したテープが法廷で再生された。 アンネリーゼの両親側の弁護士はエリーヒ・シュミット-ライフネル Erich Schmidt-Leichner が担当した。 州当局はこの事件の関係者たちを拘留せず、両親は「十分に苦しんだ」ため免罪されるべきとし、同時に2人の司祭に罰金刑を求刑した。 これは第60条によるものである。 裁判 [ ] 裁判は地方裁判所において1978年3月30日に始まり、大きな関心を呼んだ。 この裁判が開かれる前に医師たちは、アンネリーゼが憑依されてはおらず、彼女が厳しいキリスト教のしつけを受けていたことや癇癪が原因となり、それで起こった心理的な効果によるものである、と証言していた。 しかしアルト司祭から医学的な方面で援助を求められていたリヒャート・ロート博士 Doctor Richard Roth は、悪魔祓いの儀式中に「悪魔に効く注射はないんだよ。 アンネリーゼ」とミッシェルに話したとされている。 2人の司祭たちにはカトリック教会によって雇われた弁護士がつけられ、アンネリーゼの両親側弁護士であるシュミット-ライフネルは「悪魔祓いの儀式は合法であり、の基本法により保護される市民が宗教的信条において行う活動は、その制限をされない」と訴えた。 弁護側は、ミシェルが悪魔に乗り移られたという彼らの主張を力説するため、悪魔祓いの儀式中に録音されたテープを再生し、時々「悪魔が話している」とされる箇所を取り上げた。 レンズ神父の証言によると、アンネリーゼに憑依した悪魔は6体であり 、憑依した悪魔たちは自ら、身元を明らかにして、その中から「」、「カインとアベル兄弟」の 「」、「」、「 」、「」については特定できたとした。 アンネリーゼに憑依した悪魔は、彼女の口から低い唸り声と呪いの言葉を発したが、ヒトラーを名乗る霊は、「」を何度も繰り返したので、見分けがついた、と証言した。 アルト神父は悪魔祓いの儀式中に、アンネリーゼの身体が危険な状態になったとは一度も考えなかったし、もしそのような状態だと思ったら、直ちに医学的な治療を求めていたと証言し、なぜ医師を呼ばなかったのかとの問いに対し、悪魔祓いの儀式は医学的な諸問題が起きないように行われていることとなっており、そのように進められたと証言した。 また、アンネリーゼが悪魔に憑依されていると確信しており、司祭たちに悪魔を追い出すよう求めたとも証言した。 司祭らはアンネリーゼがまさに死ぬ直前、悪魔祓いの儀式で完全に自由になったことを取り上げた。 ヨーゼフ・シュタング司教は、自分が悪魔祓いの儀式を許諾した時、アンネリーゼは健康が危惧される状態だったことを知らなかったと話し、証言をしていない。 被告人たちは怠慢による過失致死罪として有罪、6ヵ月の拘留(後に保留となる)、3年の執行猶予とする判決が言い渡された。 しかしながら検察側の求刑は、2人の司祭たちについては罰金刑のみ、両親は犯罪性のみ認めて、求刑はしないとするものだったが、この判決により言い渡された刑は、それより重い量刑であった。 カトリック教会が、このような旧式の悪魔祓い儀式を許諾したことについて、マスコミが注目した。 この事件は精神障害の誤認、怠慢、虐待、そして宗教的ヒステリーと位置付けられている。 裁判の後 [ ] 遺体発掘 [ ] 公判後、アンネリーゼの両親は、自分たちの娘の遺体を発掘することについて、当局に許可申請をした。 両親によって当局に提示された表向きの理由は、アンネリーゼの埋葬が不当に早急で、使用した安い棺がものであったためとしていた。 埋葬して約2年後の 、アンネリーゼの遺体は、錫で裏打ちされたオーク材の棺に納め直された。 」と告げられたことから行われたものだった。 これについて当局は、その遺体には一貫して腐敗が進行している兆候が見られたと発表している。 被告とされた司祭たちはアンネリーゼの遺体を見ることを思い止まった。 アルノルト・レンツ神父は自分が遺体安置室に入ることを拒否されたと話している。 書籍の出版と映画 [ ] このアンネリーゼ・ミシェル事件について、その詳細を描いた本が2冊出されている。 一冊はホゼ・アントニオ・フォルテア神父 Fr. Jose Antonio Fortea 、ローレンス・E・J・U・ルブラン Lawrence E. LeBlanc による「アンネリーゼ・ミシェル:悪魔憑依事件の真相」 A true story of a case of demonic possession で、もう一冊はフェリチタス・D・グッドマン博士 Dr. Felicitas D. Goodman による「アンネリーゼ・ミシェルのエクソシズム」 The exorcism of Anneliese Michel である。 また、「エミリー・ローズのエクソシズム」 The Exorcism of Emily Rose 、「レクイエム」 Requiem 「アンネリーゼ:エクソシズムテープ」 Anneliese: The Exorcist Tapes などの映画やドキュメンタリーも制作されている。 これらの映画には制作上の創作が数多く細部に入れられているが、これとは別に、アンネリーゼ・ミシェルの悪魔祓いの儀式中に録音された音声テープが数多くある。 これは後年、正規のルートではなくリーク情報として、一般に流通したものである。 これらによって事件の詳細がさらに明らかにされていった。 事件後の余波 [ ] アンネリーゼの墓標には、近隣の人々がお参りに来るようになり、アンネリーゼを巡礼する者たちにとって、この墓標はその目印となった。 の司祭で、精神科医のウルリッヒ・ニーマン Ulrich Niemann 神父は、この悪魔祓いの儀式に関する事件について、紙に次のように話している。 「医師として私が言うのは、悪魔に体を乗っ取られるということはない・・・ということです。 私の見解では、これは精神障害です。 私は悪魔に憑依されたとされる方たちと祈ります。 でもそれだけでは助かりません。 精神科医として、悪魔に憑依されたとする方たちを扱わなければいけません。 しかし同時に、この患者が東ヨーロッパ出身で、悪霊に祟られていると信じている時、その人の信念体系を無視することは間違いでしょう。 」ニーマン神父は 自分がエクソシスト・悪魔祓いであるとは思わないし、1614年の儀典書に従って儀式を行うこともないと語った。 は、に、特殊なケースを除き、悪魔祓いの儀式を行うことをより厳しく規制した。 しかしは、悪魔祓いの儀式を前教皇の時より広く支持した。 しかし、これにもかかわらず、ドイツにおいては公式に認可された悪魔払いの儀式の数が、減少している。 これはアンネリーゼの事件からのことである。 「」 これは悪魔祓いの儀式ではなく、法廷に焦点を当てている 、 「レクイエム 2006 」 Requiem 2006 そして「アンネリーゼ」(Anneliese の3本の映画は、アンネリーゼの話をモチーフとして作られている。 、アンネリーゼが住んでいた家が火災で焼け落ちた。 地方警察によればこれは放火であるとされているが、地元の人々は、これは悪魔祓いの事件によるものだと考えた。 ノート [ ]• アンネリーゼ・ミシェルのエクソシズムにおける 悪魔の返答 Gaspare Bullinger 編• Wolff, Uwe 2006 German. Der Teufel ist in mir. Munich: Heyne. Ney-Hellmuth, Petra 2014 German. Der Fall Anneliese Michel. Sicilia Informazioni 2012年1月16日. 2014年1月10日時点の [ ]よりアーカイブ。 2013年6月26日閲覧。 Coe-Truman Technologies. 2013年6月27日閲覧。 2005年9月4日. 2009年5月27日閲覧。 オランダ語. Het Laatste Nieuws. 2013年6月25日閲覧。 2011年5月15日閲覧。 The Windsor Star. 1978年4月4日. 2011年5月14日閲覧。 Time. 1976年9月6日. 2010年4月25日閲覧。 The Press-Courier. 1978年4月22日. 2013年6月26日閲覧。 The Washington Post• Fryer, Jane 2005年12月8日. Daily Mail. の2016年5月3日時点におけるアーカイブ。 2016年7月28日閲覧。 Duffey, John M. 2011. Lessons Learned: The Anneliese Michel Exorcism. 2013年7月31日閲覧。 2008年5月21日. 2013年7月31日閲覧。 SAT. 1 Television 2013年6月12日. 2013年6月15日時点の [ ]よりアーカイブ。 2013年6月12日閲覧。 Helmut Reister 2013年6月16日. 2013年6月16日閲覧。 参考文献 [ ]• Felicitas Goodman Goodman, Felicitas D. 1988. How about Demons? : Possession and Exorcism in the Modern World. Indianapolis: Indiana University Press. Felicitas D. Goodman 1 November 2005. Resource Publications OR. Getler, Micheal. "Cries of a Woman Possessed : German Court Hears Tapes in Exorcism Death Trial" in The Washington Post 21 April 1978 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 外部リンク [ ]• (アンネリーゼ・ミシェルの詳細説明)•

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映画「悪魔のいけにえ1スペシャルエディション」ネタバレあらすじと結末

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スポンサードリンク 当然ながら診察室までに人などおらず、廊下も薄暗く少しの明かりがあるだけで私は心細くなりました。 しばらく歩いていると、待合室が見えてきました。 そこには、午前2時にも関わらず、席一杯に診察を待っている人がいました。 私はこれまで心細かったので、大勢の人がいることに安堵しました。 しかし、待合室に近づくにつれて冷静になってきた私はむしろこの時間にあんなに一杯の人がいるのはおかしいのではないのかと、違和感を感じました。 違和感を感じてから立ち止まり待合室の人影を観察しました。 すると、その一杯の人たちは既に治療済みなのか、顔が包帯でグルグル巻きのいわゆるミイラみたいな状態の人や、骨折したのか松葉杖を横に掛けて包帯でグルグル巻きの足を投げ出している人、火傷でしょうか、皮膚がただれている人など大勢いました。 しかも、その全員の顔面は蒼白でうつむいており、見ているだけで何やら悪寒が生じてしまいました。 しかし、そこを通らなければ診察室にいけないのです。 私は意を決して子供を抱きしめながら彼らの前を通ることにしました。 彼らは私たちには興味がないかのように俯いていて、身動き一つしていなかったったので私は「大丈夫だ」と小さな声を出してしまいました。 すると、一斉に彼らの目線が私たちに注目しました。 私は、恐怖で頭がパニックになりそうでしたが、そんな反応をしてしまったら、彼らに私が彼らのことが見えていると知らせてしまう、そう考えてポーカーフェースを装ってその場を足早に後にしたのでした。 しばらく速足で歩いていましたが、もうこの辺でいいだろうとゆっくり歩いていました。 しかし、突然背筋がゾクゾクし、その場で立ち尽くしてしまいました。 その時、背中には冷たい物が流れ、私の眼はそれから眼を放すことができなかったのです。 なぜなら、私の数センチ前を手術着を着たおじいさんが横切り、そのまま壁の中に消えていったからです。 近い近すぎる、私はその時恐怖でそんなことを心の中で反芻していました。 ふと、おじいさんが出てきた方を見てみると、手術室と書かれていました。 私はその場に座り込みしばらく動くことができませんでした。 そのあと巡回の看護師さんに発見され、ついてきてもらい子供を診察室に連れていくことができました。 怖い話を募集しています。 あなたの身近で起きた聞いた怖い話を教えてください。 教えていただいた内容を当サイトで掲載したいと思います。 どんなにくだらない内容でもいいのでとりあえず送っていただけると嬉しいです。 よほどひどくなければ、こちらで多少の修正の後公開したいと思います。 なお、著作権は当サイトに移譲されたことになります。 ご注意ください。

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映画『エミリー・ローズ』の基となった悪魔払いの実話

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祖父の家に身を寄せた5人は、ガソリンを分けてもらおうと思い隣家の白い家を訪問、次々に殺される。 サリーのみ助かる。 【起】 - 悪魔のいけにえ1スペシャルエディションのあらすじ1 〝この映画は若者たちの惨劇の物語だ。 いけにえの5人の若さが、哀れさを増す。 長く生きのびても、同様の異常な衝撃には出くわさなかったろう。 悪夢と化したドライブ、 この事件こそ米国犯罪史上、最も異様な「テキサス自動のこぎり大虐殺」〟 1973年8月18日。 アメリカ・テキサス州。 その日の未明、市民からの通報で墓地が荒らされていることが判明しました。 通報を受けて駆け付けた郡警本部の保安官が発見したのは、グロテスクな芸術作品でした。 バラバラにされ、組みたて直された「死体のモニュメント」です。 墓地周辺の溝にも痛いがあり、捜査の結果、消えた死体は12体以上にものぼりそうです。 頭部や手足が切られた遺体がある一方で、無傷のまま残されたものもありました。 墓荒らしは続発しており、他州の事件との関連を裏付ける確証を得たと、警察はコメントしています。 いっぽうで、身内の遺体を守るために、住民たちも結集しているという情報も入りました。 容疑者のめどは立っていません。 …車道にアルマジロの死体が転がるテキサス州・ニュート。 (アルマジロの死体は、『悪魔のいけにえ』シリーズによく出てくる) 墓が荒らされる事件が起きている最中に、5人の若者が車でやってきました。 彼らの目的は「身内の遺体が荒らされていないかの確認」と「祖父の家の確認」です。 ・サリー…金髪のロングストレートの若い女性。 フランクリンの妹。 ・ジェリー…めがねをかけた若い男性。 車の運転手。 サリーの恋人。 ・パム…金髪のパーマをかけた若い女性。 カークと恋人同士。 ・カーク…金髪の若い男性。 ・フランクリン…黒髪の太め男性。 車椅子に乗る。 サリーの兄。 墓参りに行き、祖父の墓が荒らされていないことを確認した一同は、続いて祖父の家に移動しました。 途中、屠殺所があり、においました。 フランクリンが「叔父も屠殺所づとめだ」というと、最近の家畜の殺し方について熱く語ります。 道中、ヒッチハイカーの若者を見つけた5人は、車に乗せます。 その男はフランクリンと屠殺所の話をすると、サリーが持っていた小さなナイフに反応し、いきなり自分の左の手の平を切り始めました。 血を流して、笑っています。 みんなが驚いてしーんとなると、ヒッチハイカーはズボンの下に履いているソックスから、持っているかみそりを見せて「よく切れるぜ」と話します。 対応に困っている一同をポラロイドで撮影すると、家まで送ってくれと言いました。 さらに写真代を要求します。 フランクリンが拒否すると、ヒッチハイカーはその場で火薬を出して写真の上に乗せ、燃やしました。 車内に火があがったので制止するフランクリンの腕を、ヒッチハイカーは切りつけます。 あぶないと思った一同は、ヒッチハイカーを車の外に追い出しました。 【承】 - 悪魔のいけにえ1スペシャルエディションのあらすじ2 ヒッチハイカーは手のひらで車を叩きますが(血痕が残る)、車は立ち去ります。 5人はその後、ガソリンスタンドに立ち寄りましたが、ガソリンはないと老人店主・コックに言われました。 夕方か明朝に補充が来るそうです。 店主・コックは5人に、しきりと「ここへ留まれ」と勧められました。 バーベキューもあるから、給油までここで時間をつぶせと言われます。 給油はできなかったものの、5人はガソリンスタンドを出発し、フランクリンの祖父の家に行きました。 祖父の家は、現在は廃屋です。 人の手は入っておらず、庭にも雑草が生え放題でした。 サリーもフランクリンも幼い頃に来たことはありますが、最近は全く訪れていません。 祖母の死で相続はしたものの、放置していました。 家に着くと、サリーとジェリー、カークとパムたちは家の中を捜索することに夢中で、フランクリンはしばし放置されます。 車椅子なので介助が欲しいフランクリンが、妹のサリーを呼びますが、気づいてもらえませんでした。 その後、カークとパムは川遊びに出かけます。 その際、1階のリビングになぞの四角い置物を発見しました。 何かの骨で作られているようですが、カークもパムも気に留めずに出かけます。 川のそばまで移動した2人は、そばに民家があるのを見つけました。 うまく交渉して、ガソリンを分けてもらえたらと思い、民家に行きます。 納屋に自家発電機を見つけたカークとパムは、つまりはガソリンがあると思い、母屋の方へ移動しました。 白い家をノックします。 声をかけても、応答はありませんでした。 玄関ポーチの横で人間の歯のようなものを見つけたカークは、パムにそれを渡します。 パムは受け取ったものの、不気味なので放りました。 何度か声をかけたのですが、家からは応答がありません。 しかし玄関の突きあたりに、赤い壁の部屋があるのを見たカークは、気になって入りこみました。 部屋に入ったところで人間の皮をかぶった男性、通称:レザーフェイスに斧で襲われます。 (余談だが「レザーフェイス」は兄であるヒッチハイカーに、「ババ」という愛称で呼ばれる) レザーフェイスはカークの頭部を斧で殴ると、部屋にカークを引き入れてドアを閉めました。 退屈したパムは建物の左手に回り、にわとりの羽が舞う部屋に入ります。 そこには、おびただしい量の人骨がありました。 部屋にはにわとりが1羽、宙にケージでぶらさげられています。 ケージはにわとりよりもひと回り大きいだけなので、にわとりはろくに身動きできません。 床一面に散らばったものが人骨だとパムが理解するまで、少し時間がかかりました。 【転】 - 悪魔のいけにえ1スペシャルエディションのあらすじ3 ガイコツで飾られたソファを見つけ、ぶらさがった頭がい骨を見つけた瞬間、パムはレザーフェイスに巨大フックで生きたままひっかけられ、吊られます。 赤い部屋の壁に吊るされたパムは、カークも吊られているのを知りました。 レザーフェイスがチェーンソーを持ち、パムの目の前でカークの腹部を切断したので、パムは悲鳴を上げます。 (その後、パムは巨大な据え置き型の冷蔵庫に入れられる) レザーフェイスは、人間の顔の皮をはぎ、それをマスクにしている巨漢の男でした。 斧とチェーンソーを用います。 また一族の中ではいちばん下でした。 (一家については後述) 車のそばに移動したサリーとジェリーは、フランクリンと話しました。 いつまで待ってもカークとパムが戻ってこないので、ジェリーが探しに行きます。 フランクリンが「納屋の間に道がある」と言い、ジェリーはその道を通って出かけました。 サリーは、フランクリンがないと言っていた小型ナイフを探します。 フランクリンはまだ昼間のヒッチハイカーのことを気にしており、車に残った血痕を見て「あの男が殺しにこないだろうか」と心配しました。 ジェリーはカークを探して白い家を見つけます。 ドアをノックしましたが、応答はありません。 中から小さな物音がするので、カークかパムが入りこんでいると思い込んだジェリーは、家の赤い部屋に入りました。 冷蔵庫を開けると、パムが上半身を乗り出しました。 その瞬間、レザーフェイスがジェリーを背後から襲い、斧で頭部を割ります。 ジェリーを殺した後、レザーフェイスはパムを冷蔵庫に押し込みました。 その後、レザーフェイスは頭を抱えて絶叫します。 日没を迎えても帰ってこないので、フランクリンとサリーはクラクションを何度も鳴らしました。 暗いので、音で帰り道が分かるよう、クラクションを鳴らしているのです。 フランクリンはガソリンスタンドに助けを求めようと、提案しました。 しかしサリーは恋人のジェリーを探したがり、サリーがフランクリンの車椅子を押して納屋の間の道を歩き始めます。 真っ暗なので、懐中電灯のあかりだけでは、前方が見えにくい状態でした。 真正面からいきなりレザーフェイスが現れると、フランクリンを斧で襲います。 フランクリンは即死し、サリーは逃げました。 サリーは白い家を見つけ、2階にあがります。 2階にはミイラ化した男女の姿がありました。 サリーは知りませんが、祖父の方は生きています。 2階から飛び降りたサリーは走って逃げ、ガソリンスタンドに駆け込みました。 店主のコックに助けを乞います。 サリーは警察への通報を頼みましたが、コックは雑貨店に電話がないと言い、一旦店を出て行きました。 【結】 - 悪魔のいけにえ1スペシャルエディションのあらすじ4 白いトラックに乗って現れたコックは「協力してほしい」と言いながら、ロープを持ってきます。 身の危険を感じたサリーはナイフで応戦しようとしますが、コックにホウキで容赦なく叩かれ、気絶しました。 コックはサリーを縛り、穀物袋をかぶせると、車に乗せました。 サリーは知らなかったのですが、このガソリンスタンドの店主も、殺人一家のひとり・父親だったのです。 この一家こそが「ソーヤー家(レザーフェイス一家)」でした。 墓を荒らした犯人でもあります。 彼らは人肉を食べて暮らしていました。 墓をさらに荒らして来た息子のヒッチハイカーを見つけた父・コックは「墓場に近づくなと言っただろう」と戒めると、荷台に乗せます。 サリーを椅子に拘束した後、穀物袋を外しました。 そこには、異様な光景が広がっていました。 サリーは目撃します。 2階にいたミイラ化したうちの祖父は、まだ生きていました。 祖母はミイラ化しているようです。 父親がガソリンスタンドの店主・コックで、息子は兄のヒッチハイカーと、弟のレザーフェイスです。 父、ヒッチハイカー、レザーフェイスはサリーの人差し指を切ると、祖父に血を吸わせました。 あまりのことに、サリーは気絶します。 再び気づいたサリーは、自分も食卓を囲むひとりに加えられていると知り、絶叫しました。 食卓の電灯にも人の顔の皮がかぶせられており、サリーを拘束した椅子のひじかけには、人間の腕がつけられています。 食後、サリーはたらいの前に移動させられ、祖父にハンマーで殴られかけます。 ヒッチハイカーがサリーを拘束し、レザーフェイスが祖父の手にハンマーを握らせますが、祖父はよぼよぼなので握れず、ハンマーを何度も落としました。 見ていて興奮したヒッチハイカーがハンマー係をしたがり、サリーの手を離したので、その隙にサリーは窓ガラスに体当たりして逃げます。 すでに明け方が近くなっており、外はうっすら明るくなっていました。 サリーが逃げ、ナイフを持ったヒッチハイカーがあとを追います。 そのうしろを、チェーンソーを構えたレザーフェイスも追ってきました。 車道に出たサリーはヒッチハイカーに襲われかけますが、道を走る大型トラックがやってきて、ヒッチハイカーをまともに轢きます。 車の運転手がサリーを助けて車に乗せますが、そこへレザーフェイスがやってきて、車をチェーンソーで傷つけ始めました。 運転手が車を降り、ヒッチハイカーが持っていたナイフを奪って、レザーフェイスに投げます。 レザーフェイスは自分の右太ももを、チェーンソーで傷つけました。 さらにやってきた小型トラックに、サリーは乗り込んで逃亡します。 サリーに逃げられたレザーフェイスは、いらだち紛れにチェーンソーを振り回してわめきました。 1974年公開、日本では1975年公開のこの作品、スプラッターの代表作ともいえよう。 振り返ってみると、ものすごくグロテスクな作品はほかにもたくさんある。 それでもこの作品が今なお評価されるのは「食人のファミリー」「チェーンソーを振り回す、人の皮をかぶったレザーフェイス」 この2つのインパクトが大だから。 サリーがぎゃーぎゃーうるさいんだけど(笑)、この目力の強さよ。 サリーが目を見開くシーンが、よく使われている。 ヒッチハイカーの行動の意味不明なところ。 レザーフェイスが食事のシーンでは、ちゃんとお化粧しているところ(笑)。 キャラひとりひとりがすごく印象強い作品。 rurusieruさんの感想.

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