小田嶋 隆。 小田嶋隆氏「最大の罪は国の文化と社会を破壊したこと」|日刊ゲンダイDIGITAL

株式会社ミシマ社

小田嶋 隆

小田嶋隆(コラムニスト) には言いたいことがいっぱいある。 まず、対米追従&対露弱腰外交は「売国」という古い言葉を召喚してこないと形容しきれないと思っている。 経済では、消費増税によって、の3本の矢を焚き付けの薪として炎上させてしまった。 これだけでも退陣の理由としては十分だ。 とはいえ、外交は相手あってのことだ。 経済もまた、運不運の要素を含んでいる。 なので、失策のすべてを安倍さんのせいにするつもりはない。 ここは見逃してさしあげてもよい。 政権の罪は、むしろ、彼らの日常動作の中にある。 たとえば、行政文書を前例通りに記録・保存するという行政の担当者としてのあたりまえの習慣を、氏とその追随者たちは、政権を担当したこの8年の間に完膚なきまでに破壊した。 それだけではない。 彼らは、自分たちの政治資金の出納をまっとうに報告するという、政治家としての最も基本的な義務すら果たしていない。

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【前哨戦】アル中の詭弁|小田嶋隆×中川淳一郎 アル中対談|中川淳一郎/小田嶋隆|cakes(ケイクス)

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「不健全にまん延する社会の空気」について指摘したコラム集『ア・ピース・オブ・警句 5年間の「空気の研究」』。 小田嶋さん: この騒動が始まってから、「公園で親子が遊んでいる。 あれはいいのか」と役所に電話をするようなことが情報で流れてきたり、サーフィンをしている子たちを「サーフィン自体が感染の危険を伴うから、けしからん」ではなく、「こんなにみんなが我慢しているときに遊んでいていいのか」という文脈でテレビに出た人が言うのを聞いて、何か筋が違うのではないかとすごく思っていました。 こうしたご意見が、結構テレビ視聴者に賛同を受けるようになっていると思うと、ちょっとこの先が怖いですよね。 コラムニストの小田嶋隆さんは1956年、東京生まれ。 大学卒業後、食品メーカー、ラジオ局勤務などを経てコラムニストになりました。 著書に『場末の文体論』『もっと地雷を踏む勇気~わが炎上の日々』『その「正義」が危ない』など、多数あります。 東京の都市構造について、この35年で東京が「健康で、足が速くて、反射神経に優れた強者、のために最適化された空間に生まれ変わった」とお書きになっています。 バリアフリーと言われていますが、そうではないと感じられるのでしょうか。 小田嶋さん: 実は私、足を折ってつえをついていた時期が1年半ぐらいあったのですが、いろんな通路にしても、スムーズに歩ける人が歩きやすいようにできているので怖いんですよ。 足の遅い人たち、つえをついている人たち、ベビーカーを押している人たちなど、産業や効率に組み込まれない側の人たちを傍流に押しやるように街が設計されていることに、自分がつえをついて初めて気が付いたんです。 小田嶋さん: 排除まではしていないんでしょうけど、経済成長に貢献する人間を優先するように、東京はなっていますよね。 その人たちが歩きやすいように広い通路になっているのですが、あれも怖いですよね、つえをついている人間には。 2015年11月、フランス・パリで起こったテロに対して、作家の乙武洋匡さんは「テロリストの主張についても考えるべきだ」とネットに書き込み、炎上しました。 この件について小田嶋さんは警句を発しましたが、この状況は今も変わらないでしょうか。 小田嶋さん: 変わらないというより、むしろひどくなっている気がするんです。 乙武さんはあのときにテロリストを擁護したわけではなくて、「追い詰めれば追い詰めるほど、彼らがまた激発する要因になるんだよ」というようなことを言っただけなのに、「擁護するのか!」と一方的に叩かれていたんです。 偏った意見だけにみんなが集まるようになってしまうと、それこそテロリストの思うつぼです。 言論をトゲトゲしくできればテロリストにとっては成功なのですが、見事に成功しているように見えたんです。 本当は「テロリストはこういう主張をしているが、その主張は全然当たらないぞ」ということを理論的に論破していくような空気をネット言論の中でつくればいいんだけど、「聞く耳を持つことさえだめだ。 彼らの主張なんて紹介するだけでもけしからん」みたいになっていましたし、今もなっていると思いますよね。 話し合うことそのものを拒絶する空気というのがある、ということかもしれないですよね。 東京オリンピック・パラリンピックの招致活動が始まったときには少数派ではなかった不支持の声が、招致が決まった途端に消滅した例が挙げられていますが、どこに問題があるとお考えですか。 小田嶋さん: 自分が賛成であるか反対であるかという生の意見よりも、それを言ってしまうことが、「今の時代の空気の中で浮かないだろうか」ということのほうが心配だったりするわけです、多くの人にとって。 会社の議論でも、「決まったことなんだから、グダグダ言うなよ」というのは説得力のある言葉です。 「会社の方針はA案に決まったんだから、今さらB案を言うこと自体が会社に対する反抗と見られるぞ」となってしまう瞬間に、A案とB案で半々だったはずの空気がどこかに消されてしまう。 オリンピックのときもそうでしたけど、招致に反対の人たちもそこそこいたのに、招致が決まった瞬間にその声はあげてはいけない感じになって、誰も「反対」と言えなくなってしまった。 それは空気の問題だと思うんです。 今でも反対の人は必ずいるはずなのに、「言っても損するだけだから黙っておこう。 むだな反対意見は声をあげるだけ損」となってしまった。 この国では昔からそうですが、21世紀に入って極端になった気がしますよね。 だからこそ、「決められる政治」といったスローガンや実行力のある政治的リーダーシップが求められている。 小田嶋さんはこの状況を 「独裁者待望論」と糾弾しています。 具体的にはどういうことでしょうか。 小田嶋さん: 例えば女性誌で、デートをするのに一番嫌な男というのは、「コースを決められない男。 入る店を決められない男」と言われます。 イタリアンでも中華でも和食でもいいんだけど、自分で店を決めるのが嫌なわけです。 相手が決めてくれるのが女性にとってはありがたい。 決断力のある男性とデートするほうが自分は気持ちがいい、という気持ちが一貫してあるわけです。 これはずっと昔からそうなんですが、男女に限らずの話。 それを読み解いてみると、「何が食べたいか」よりも重要なのは、おいしい・まずいのどちらの結果が出たにせよ、自分の決断でこの店に入ったということについて、責任を取りたくないんです。 他にもいろんな場面で日本人が相手方に期待する役割というのは、「決断はそちらでしてください」というものです。 政治家に対しても、「右・左、どっちでもいいけど、とにかくあなたが決めてください」と。 「自分たちが決める」とはあまり思っていないんですよね。 「決断や思考を嫌う」となると、「独立した個人の考えを持って投票して」という民主主義の前提自体が、成立しないじゃないですか。 「困ったことや腹の立つことに対して、人々が声をあげなくなれば、その分だけ世界は確実に窮屈になる」とお書きですが、これは、社会を覆う空気に対して、警句を発するべきということでしょうか。 小田嶋さん: 不満を言うことや何かに反抗すること、苦情を言うことというのは、社会をかき乱す行為として嫌われがちですけれども、それを言わないでいると、結果的にはだんだん弱者が追い詰められていくわけです。 私は「黙っている人間のほうが上品だよね」という空気が、21世紀に入ってからすごく醸成されていると思っています。 そうなると、全員がそうである必要はないのですが、「面倒くさいやつだな」と思われる人間、『ドラえもん』で言えばジャイアンだけが、気持ちのいい社会になってしまう。 スネ夫ものび太もみんな自分なりの声をあげていかないと、本当にジャイアンだけの世の中になってしまいますから。 現にそうなりつつあるような気がするんですよね。 小田嶋さん流に言えば、「やり直せない」場合も多々あるということでよろしいでしょうか。 小田嶋さん: そうかもしれません。 インパール作戦でも何でも、1度始まってしまったことが引き返せなくなるポイントがあるのですが、それを超える前に誰かが警告を発して「これは違うぞ」という声をあげなければいけないし、その声に耳を傾ける人間が少しずつ増えていかないと、本当にわれわれはどうしてもやり直せないところに行ってしまう。 それを私は危惧しているんです。 集団内の少数意見を「国賊・非国民」とか言って排除してしまうことで、自分たちの首を絞めたことがかつてありました。 少数意見を尊重しない空気がまた始まっているので、少数意見の代表者として、そこはすごく心配しています。

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小田嶋隆|論座

小田嶋 隆

小田嶋隆(コラムニスト) には言いたいことがいっぱいある。 まず、対米追従&対露弱腰外交は「売国」という古い言葉を召喚してこないと形容しきれないと思っている。 経済では、消費増税によって、の3本の矢を焚き付けの薪として炎上させてしまった。 これだけでも退陣の理由としては十分だ。 とはいえ、外交は相手あってのことだ。 経済もまた、運不運の要素を含んでいる。 なので、失策のすべてを安倍さんのせいにするつもりはない。 ここは見逃してさしあげてもよい。 政権の罪は、むしろ、彼らの日常動作の中にある。 たとえば、行政文書を前例通りに記録・保存するという行政の担当者としてのあたりまえの習慣を、氏とその追随者たちは、政権を担当したこの8年の間に完膚なきまでに破壊した。 それだけではない。 彼らは、自分たちの政治資金の出納をまっとうに報告するという、政治家としての最も基本的な義務すら果たしていない。

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