生きる 黒澤 明。 何をもって人は生きるのか/黒澤明「生きる」

映画『生きる』ネタバレあらすじ結末|映画ウォッチ

生きる 黒澤 明

「 ふたつの心をつなぐ旅」でも、全編白黒になっており、あえて日本映画的な白黒映画をねらった演出など、見慣れると違和感を感じなくなります。 生きながらにして死んでいる。 さて、「生きる」に戻りますが、 演じる主人公渡辺勘治は、役所で課長をしている実に冴えない男です。 黙々と判子を押し続け、周りからも軽んじられている男。 彼は、もうすぐ30年間無遅刻無欠席になるところなのですが、真面目な男というだけで、部下から特別尊敬されているわけでもなく、役所の備品といった扱いをされています。 そして、ナレーションが彼について、あっという間に語ります。 「彼は時間をつぶしているだけだ。 彼には生きた時間がない。 つまり、彼は生きているとはいえないからである」 とばっさり紹介されます。 この男は、何気なく生きてしまいがちな我々の象徴でもあります。 ただ漫然と生きている。 特に目的もなく、打ち込めるものがあるわけでもない。 主人公である渡辺勘治は、身体の調子が悪いかったため、『初めて』会社を休んで病院にいくところから物語は動き始めます。 男は、癌だったのです。 実は、コメディ。 癌の男。 たしかにこれは悲劇です。 ですが、前半は明らかにコメディとして描かれています。 スポンザードリンク? 病院にいった主人公が、癌で余命が短いと判明する場面。 たまたま待合室にいた男が、末期がん患者に医者が嘘をつくということを、しつこく説明していきます。 こんな風に言われたら余命何ヶ月だね、医者は、こんな風に言うけれど、そう言われるとあと何ヶ月ということさ、と、主人公を不安にさせます。 半ば、自分の体調がおかしいことを知っているので、聞きたくないのです。 主人公が自分自身の体調について確信をもつにいったっていくさまは、滑稽すぎて、笑うばかりです。 かのも言っていたように「人生は近くでみると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」というだけあって、主人公がどんどん悲壮になることで、笑いが生まれるのは演出の妙というものでしょう。 医者にいくと、待合室で言われた通りのことを医者がいいます。 あまりに同じ台詞なので、そりゃないだろう、とつっこみたくなります。 ここまで同じ台詞なら嘘だろう、と思うのですが、なんと、主人公が帰ったあとに、「あの患者、相当悪いんですか」「ああ、1年か半年だろう」とさらっと言ってしまいます。 家族に伝えることもせず、本人にも伝えないで適当に帰してしまうなんて、なんと酷い医者だと思うのですが、ここは怒るべきところではありません。 これは、もうコメディと割り切っていいところだと思います。 主人公は、会社を無断で休みます。 息子に自分の病気のことを言おうと思っていたけれど、息子に話すことができないまま、途方にくれてしまいます。 主人公は、息子を大事にしているのですが、いつの間にか、息子がかつてのような優しくて思いの息子ではなくなっていることに愕然とするのです。 なけなしのお金を銀行から下ろして、失踪するのですが、悲しいことに、この男は、真面目に生きてきたので、お金の使い方を知りません。 飲み屋にいって、はじめて自分のお金で一番高いお酒を飲む主人公。 でも、お酒なんてあまり好きじゃないっていうのがまた泣けます。 この男は、仕事以外に何もなかったのです。 飲み屋で知り合った全身黒尽くめの小説家が、主人公の境遇を悲しみ、夜の世界に連れて行ってくれます。 その様子は、の「」にでてくるそのものです。 この世の全ての快楽を教えてくれる存在として、小説家の男は、主人公を連れまわします。 夜の街で、キャバレーに行き、酒を飲み、若い女性と踊ったりします。 このときに、主人公は白い帽子を買うのですが、これが主人公が変わっていくことの象徴として使われるのが印象的です。 ただ、それだけ夜の街を遊び歩いても、主人公は、全然楽しくなかったのです。 周りのみんなが楽しそうに踊っている中、ピアノ弾きが主人公に好きな曲をひくから言ってくれといいます。 すると、主人公は、「ゴンドラの唄」をリクエストします。 命短し、恋せよ乙女。 若い女の子に、青春を謳歌できるのは本当に一瞬なのだから、精一杯恋をしなさいという歌なのですが、演じる主人公が歌うと、それは別の意味になります。 のぎょろりとした目が大写しになりながら、歌われるゴンドラの唄は、劇中の中でも特に印象的なシーンです。 本当に短い命をどう生きるのか、主人公は途方にくれてしまうのです。 生まれ変わる 白い帽子をかぶっていると、会社の部下の女の子が見つけて声をかけてきます。 彼女は、生命力の塊のような女の子として描かれます。 そのふたりのやり取りもまた、若い娘のガーンドがいると息子夫婦に勘違いされたり、笑えるところが満載です。 主人子は、女の子と一緒にいようとしますが、50も過ぎるようなおっさんが、若い女の子に特に何を要求するわけでもなく、一緒にいて欲しいというので、女の子も怖がります おいしいものを食べさせてくれたりするのは嬉しいですが、たしかに、ほとんどしゃべらないでいるおっさんと二人でいるのは恐ろしいですよね。 「あの、その、つまり、その」 主人公は、あまりしゃべるのが得意ではありません。 「何よ、雨だれみたいにぽつぽつ。 いやになっちゃうな」 そこで、女の子は主人公にこういいます 「おもちゃつくってたら、わたし、全国の赤ちゃんと友達になれる気がするの。 課長さんも、なんかつくってみたら? 」 カフェでふたりは話をしているのですが後ろのほうでは女学生達がはしゃいでいます。 女の子の言葉を聞いて、主人公は立ち上がり、こうしちゃおれんと走り出します。 そして、なぜか、主人公にむかって、バースデーソングが歌われるのです。 ハッピバースデー トゥー ユー ハッピバースデー トゥー ユー なんで、こんなことになっているんだ、と混乱するのですが、その理由は実際に映画をみていただくとして、この場面で、主人公は、生まれ変わったのです。 生きるとは、何か、自分がするべきことは何か。 夜の街に繰り出しても、若い娘と一緒にいても、決して満たされなかった彼が、生きるためにしたこと、そして、そのことに対する、周りの反応や、難しさこそが、この映画の本当のテーマとなっています。 何をするべきかをわかる、そこから生きるというのは始まるのです。 2部構成。 この時点で、物語の1時間程度でしょうか。 実は、この映画は大きく2部構成になっています。 一部は主人公が生きることとは何かを見つけるところですが、2部目にこそ本当に黒澤が言いたかったことが描かれていると思います。 一応、ネタバレっていうほどではないですが、2部のことを知りたくない方は、一度、映画をみてから戻ってきていただければと思います。 ここからネタバレ さて、いいでしょうか。 正直、主人公が癌になるという時点で、物語上おきることはわかると思いますが、2部は、主人公の葬式から始まります。 そこでは、の名作「藪の中」を原作とした「」の如く、葬式で故人について語っていくという内容になります。 主人公は、役所の仕事を通じて、町に公園を作ります。 それこそが、主人公の生きる目標になったのです。 いきなり、主人公の葬式になるので、主人公が死ぬまでの間、いったいどういう風に過ごしたのかというのがわかりません。 そのため、映画をみている我々もまた、 葬儀に参加している人間と同じ視点になって、映画をみることができる、っていうのが面白いです。 主人公がなぜ人が変わったかのように公園作りをはじめたのか。 それを、葬儀に参加している人間が話すのですが、これがみんな的外れ。 小太りの男が、「ワタナベさんがいたから、公園ができたんじゃないですか」 というものの、まわりの人間は、タイミングがよかったとか、助役のおかげだとか、まったく渡辺勘治という男を評価しません。 ただ、参加者達が話をすることで、自分が死ぬとわかっていたのか、どれほど地域の住民に渡辺勘治が慕われたかがわかるようになっています。 「渡辺さんは、自分が死ぬのがわかっていたんじゃないか」 そう言って語られるエピソードがあります。 主人公は、夕日をみて立ち止まります。 「い、今まで、夕日がこんなにも綺麗だったなんて知らなかった」 余命いくばくもないということがわかったからこその台詞です。 でも、その次の台詞が彼が一体何を考えていたかを語ります。 「わ、わたしはこんなことをしている場合じゃないんだ」 やるべきことを見つけた人間は、夕日に感動している暇すらない。 それこそが、生きる、ということを見つけた人間なのです。 ただ、葬儀に参加している人間は、渡辺勘治のことを誰一人として理解していません。 彼は、認めてもらいたくて公園をつくったのではなく、自分のためにやったのです。 息子のためでも、地域の人のためでもなく、自分自身が生きるためにやった。 だから、1部では全然冴えない顔だった主人公の顔は、2部の葬式の写真では、非常に誇らしく、喜びに満ちた表情をしているのです。 現実 葬儀の参加者たちは、自分達も、渡辺さんのように市民のためにがんばろうじゃないか、盛り上がります。 ただ、エンディングでは、市民が助けをもとめてきても、知らないふり。 一番、渡辺勘治のことを理解しようとしていた男は、みんなのていたらくっぷりに立ち上がりますが、やがて、座ってしまいます。 「生きる」は、小市民であっても、いつ死ぬかわからない中、自分の生きる目標を見つけることが大事だと問うていますが、同時に、それがいかに難しいことかも伝えています。 自分の命がわかったことで、本当にやらなければいけないことをするという物語は、色々ありますね。 最近では、海外ドラマで人気があった「ブレイキングバッド」もこのパターンです。 アメリカの優秀なドラマや番組に贈られるを受賞し、人によっては、今世紀最大の作品とまで言われた作品ですので、一見の価値があります。 高校の化学教師をやっていたウォルター・ホワイトが、肺癌であることがわかり、家族のためにドラックをつくることで、家族に財産を残そうとする。 その中で起こるブラックコメディ&サスペンスです。 科学の知識を駆使しながら、困難を乗り越えたり、単なる高校の教師だったはずがどんどん深みにはまって、になっていくさまは、痛快です。 よい映画というのは、見たあとに、少しだけ世の中の見方が変わるのがいいと言われています。 「生きる」をみることで、を読んだときのような気持ちの高揚を得られる人もいるでしょうし、今更、人生一度きりなんてわかっているよ、という人もいるでしょうが、見ることで色々な気持ちを抱かせてくれる作品であることは 間違いがありません。 予告編もそうですが、全体的に暗い雰囲気で作られています。 ただ、悲劇すぎて笑ってしまうような、不謹慎な笑いを楽しむことができる、非常に深い映画であると共に、この映画をみることで「こ、こんなことをしている場合じゃない」と、一瞬の大切さを改めて感じることができる傑作映画です。

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映画『生きる』ネタバレあらすじ結末|映画ウォッチ

生きる 黒澤 明

映画のストーリー 結末の記載を含むものもあります。 某市役所の市民課長渡邊勘治は三十年無欠勤という恐ろしく勤勉な経歴を持った男だったが、その日初めて欠勤をした。 彼は病院へ行って診察の結果、胃ガンを宣告されたのである。 夜、家へ帰って二階の息子たち夫婦の居間に電気もつけずに座っていた時、外出から帰ってきた二人の声が聞こえた。 父親の退職金や恩給を抵当に金を借りて家を建て、父とは別居をしようという相談である。 勘治は息子の光男が五歳の時に妻を失ったが、後妻も迎えずに光男を育ててきたことを思うと、絶望した心がさらに暗くなり、そのまま街へさまよい出てしまった。 屋台の飲み屋でふと知り合った小説家とそのまま飲み歩き、長年の貯金の大半を使い果たした。 そしてその翌朝、買いたての真新しい帽子をかぶって街をふらついていた勘治は、彼の課の女事務員小田切とよとばったり出会った。 彼女は辞職願いに判をもらうため彼を探し歩いていたという。 なぜやめるのかという彼の問いに、彼に「ミイラ」というあだ名をつけたこの娘は、「あんな退屈なところでは死んでしまいそうで務まらない」という意味のことをはっきりと答えた。 そう言われて、彼は初めて三十年間の自分の勤務ぶりを反省した。 死ぬほどの退屈さをかみ殺して、事なかれ主義の盲目判を機械的に押していたに過ぎなかった。 これでいいのかと思った時、彼は後いくばくもない生命の限りに生きたいという気持ちに燃えた。 その翌日から出勤した彼は、これまでと違った目つきで書類に目を通し始めた。 その目に止まったのが、かつて彼が付箋をつけて土木課へ回した「暗渠修理及埋立陳情書」であった。 やがて勘治の努力で、悪疫の源となっていた下町の低地に下水堀が掘られ、その埋立地の上に新しい児童公園が建設されていった。 市会議員とぐるになって特飲街を作ろうとしていた街のボスの脅迫にも、生命の短い彼は恐れることはなかった。 新装なった夜更けの公園のブランコに、一人の男が楽しそうに歌を歌いながら乗っていた。 勘治であった。 雪の中に静かな死に顔で横たわっている彼の死骸が発見されたのは、その翌朝のことであった。

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黒澤明の『生きる』って、どのあたりが面白いのですか?

生きる 黒澤 明

今度ハリウッドでリメイク ドリームワークス? するそうですね。 トム・ハンクスが演じるのなら『フィラデルフィア』みたいな雰囲気になるのでしょうか。 この作品が傑作だといわれるのは、「オドオドした態度」で30年間役所勤めをしてきた平凡な男が、ガンに冒されて余命わずかだということを知り、命をかけてでも何か 公園 を残そうとする「鬼気迫る」姿に共感を覚えるのではないでしょうか。 強いて言うとすれば、『七人の侍』より以前の作品であり、両作品を見比べると、どちらにも出演している俳優が演じる登場人物の性格の対比 小心者の志村喬はもとより、『七人-』では部下役だった加東大介さんに脅されたり等 が面白いと思います。 両作品の製作が逆だったのならあのきたりだったでしょう。 あまりご質問の答えになっていなくてすみません。 黒澤明を語る時に避けて通ることはできない一つの大きな山の頂点に立つのが「生きる」で、私は大学生の時に観て以来5回観ましたが、話の内容は十分に判っていても、励まされ、感動することにおいては、何ら変わることはありません。 娯楽性やエンターテイメント性は低いというご意見もありますが、私は全くそうは思いません。 ドンパチ派手にやるのが娯楽の全てではないと思いますし、大変面白く作られた映画だと感じます。 私が最初に感動する場面が、今は冷たくなってしまった一人息子に打ち明けたいのだが、現にそこに存在する息子は小さい頃の光男ではもはやない、というくだりです。 勘治は妻が死んだ時のことを思い出します。 光男は5歳くらいで、霊柩車のすぐ後ろを走るタクシーに乗っているのは、勘治、光男、勘治の兄喜一、その妻たつです。 霊柩車が右折する時、光男は「はやくはやく、お母ちゃんが行っちゃうよー」と言います。 実に寂しげな早坂文雄の音楽と共に、「生きる」の中で忘れられない切ないシーンの一つです。 回想が終わり、「光男、光男、」と呼びながら、勘治は階段を上って行きます。 途中で二階の明りが消え、息子夫妻は寝てしまいます。 男手一つで息子を育ててきたのに、その息子がどんどん遠くに行ってしまう。 この孤独感は家事や育児に参加する父親の哀しみに通じるものがあると、そういう立場に立って、私は初めて気づきました。 父親としてはかなり関わったつもりでも、子供は母親の方がいいと言うもので、それが痛いほど判る現在の私には、これらのシーンが今まで以上に心に染みました。 次に強烈なのが、後半への超絶的な場面転換です。 帽子をかぶり、颯爽と出かけて行く勘治が、次に現れるシーンは、5カ月後、勘治の遺影が映る通夜の場面です。 この飛躍の手法によって、我々は生まれ変わった勘治を過去形の形でしか追体験できないことになり、従って、その他大勢の無責任に勘治を外側からしか見ることができなかった家族や市役所の人たちと同じ視点から勘治を見て行くことになります。 それが映画を観るという行為にも通じています。 そして、なんと言っても素晴らしいのが、通夜のシーンです。 ここでは、各自が自分のイメージに従って勘治の人物像を勝手に造りあげていきます。 このようにしてこの場面では勘治に関する多様な解釈や様々な回想が展開され、それはまるで「羅生門」のようです。 千秋実や左卜全がユーモラスな味を見せていて、志村喬の思い詰め過ぎた生真面目な演技を中和させる働きもしていると思います。 助役ややくざの脅しにもひるまない勘治は、「白痴」のムイシュキン的な〔穏やかな〕超人として設定されています。 この前年に黒澤が「白痴」を撮っていることを考えても、「生きる」にドストエフスキーの影が感じられるのは確かです。 「生きる」の世界で描かれるのは、聖なる超人、どちらにも転ぶ凡人、姑息で俗悪な権力、これら3者の微妙な関係です。 我々は凡人として、身近に存在する小権力の自己保身や封建性を固守する行き方などに大いに反発を感じたりしますが、直接、本人に向かって批判を加えることはなかなかしません。 それでも、「生きる」を観ることによって、「もっとしっかりしなきゃ」と思わされたりするのです。 私は、「生きる」は「七人の侍」とは全く違ったタイプの黒澤監督の代表作だと思います。 観れば観るほど面白くなる映画だとも思います。 こんばんは。 苦手なのは質問の中にある通り、年齢的なこともあるのかもしれませんね。 ただ若い年代でも、病気や怪我などで健康を害したことで「生」の意味を模索するようなことがあった方たちには身につまされる作品だと思います。 ボクは10代の後半でこの作品を見ましたが、ブランコの場面では感涙しました。 また若くてお茶目な小田切みきさんの配置もいろんな意味の対比を含んでいて、感心しました。 彼女が喫茶店で志村喬さんに会い、 「こんなものでも何か人に喜ばれるものを作っていると思うと嬉しいの」 とウサギのおもちゃを見せて生き生きと語る場面があります。 それに志村さんがはっと何かを気づいて、ウサギのおもちゃを手に喫茶店を出て行くバックに、喫茶店の奥で誕生会が開かれているため「ハッピバースデーツーユー」という曲が鳴っているという、今見たらちょっとあざとい気もしないではないですが、この場面も見た当時には感心しきりでした。 黒沢作品のダイナミックなところに惹かれているファンは、これ以外の「わが青春に悔い無し」や「素晴らしき日曜日」なんかも苦手な作品なのだと思います。 余談ですが、志村喬さんのドキュメンタリー番組があって、熊井啓監督が語っていましたが、「生きる」の志村さんのガンの演技はちょっとオバーだろうと思ってみていたものの、晩年の体調を崩されてからの志村さんが「生きる」の主人公そのものに重なって仕方がなかったそうです。 「真夜中のカーボーイ」などの作品で知られるジョンシュレシンジャー監督が、「生きる」を自身のベスト10に選んでいます。 「シドアンドナンシー」のアレックスコックスもこの作品と「乱」をベスト10の一本に選んでました。 どちらの監督も邦画は他には選んでませんから、やっぱりスゴイ作品なのだと思います。 そういえばリメイクは「酔いどれ天使」がスコセッシ&ディカプリオで進行中だそうです。 どうなっちゃうんでしょうね? A ベストアンサー 質問はすべて、トリュフォーがヒッチコックにインタビューした「トリュフォーvsヒッチコック」に載っています。 立ち読みでもされれば思います。 でも名著なので5000円くらいする本ですが買って損はないと思います。 1)意味はありません。 2)映画的に怖い鳥ばかりではしゃれていない。 ヒッチコック的ユーモアです。 ただ、自由奔放の女主人公も男にゲットされ籠の鳥さ!というユーモアがかくされているようです。 3)これはまさにヒッチコック映画全般にいえることです。 テーマとも言えます。 息子に執着する母親。 怖い母親。 異常な母親。 ヒッチコック映画が単なるスリラーやサスペンスでないと観るものに思わせる重要なアイテムです。 Q マルクスの『共産党宣言』を呼んで歴史を どう理解するか考えなさいという課題 歴史の定義はそれぞれ考えること について、皆さんのご意見をいただけませんでしょうか。 内輪のことなのですが、最近口をきかなくなった息子から このようなことを質問され、嬉しかったのですけれども 大学は出ているもののまったくこのような人物に関することには 興味がなく、何の知識もありません。 息子は何かレポートを作れるきっかけやキーワード、 解り易い説明などを求めているようなのですが、 まったく答えることが出来ていません。 このままでは面目がつぶれてしまいますので、 何とか皆様のお知恵を御貸し願えないでしょうか。 どのような些細なことでも結構ですのでレポートの書き出し、 この題名のわかりやすい解説、どういう風に書いたらよいか、 キーワードなんでも構いません。 短文など示していただけるのも大変助かります。 どうか、お答えいただけないでしょうか。 お助けください。 皆様に御貸しいただいた知恵を我が知恵のように息子に話すのは 少々申し訳ないようにも思いますが、胸中お察しいただけませんか。 それでは、よろしくお願いいたします。 記述に足りないことがあれば、補足させていただきます。 マルクスの『共産党宣言』を呼んで歴史を どう理解するか考えなさいという課題 歴史の定義はそれぞれ考えること について、皆さんのご意見をいただけませんでしょうか。 内輪のことなのですが、最近口をきかなくなった息子から このようなことを質問され、嬉しかったのですけれども 大学は出ているもののまったくこのような人物に関することには 興味がなく、何の知識もありません。 息子は何かレポートを作れるきっかけやキーワード、 解り易い説明などを求めているようなのですが、 まったく答える... A ベストアンサー 日にちが少したっていますが、まだお役にたてるでしょうか? マルクスの考える共産主義の発想として・・・・ マルクスは、市場主義を放置しておけば、資本家、つまり経営者が私腹を肥やすために 労働者の正当な取り分を搾取してしまうと考えました。 そこで、労働者の権利を十分に保障するために、企業を国営化し、生産計画もそれに必要な資源の配分も 政府が一括しておこなうことで、精緻な経済運営をおこなっていこうとしました。 その際、マルクスは、私的所有ということを厳しく戒めました。 すべてのものは共有財産であり、皆が同じように社会に尽くすことで、 同じ分け前に預かり、結果として身分の差別をなくす、いわゆる「共産主義」にすべきだと言っているのです。 が、これはまさに理想であって、実際はこの理想にはなかなかついていくことができなかったのです。 つまり、いくら働いても取り分が同じであるならば、人間はできるだけサボろうとします。 その結果、生産性は低下し、競争のもたらす創造性も生まれません。 以下、マルクスが論じたことについて・・・ マルクスは、歴史ないしは「社会」の全体構造の理解が可能である、と考えたことが特徴。 「人間社会はいくつかの階級社会の移り変わりである」(byマルクス) 原始共産制 原始時代)は食べるのがやっとであり、階級が存在しない、無階級社会であった。 ここで、企業家と賃労働者の関係へ。 (これが共産社会) つまり、生産力の変化、発展とともに、階級社会も発展してきた、ということです。 わかりましたでしょうか?私も学生で素人なので、この程度のことしかわかりませんが・・・ マルクスは、生産力の発展とともに、社会が変化し、階級が生まれたが、 結局それは良くないので、再び共産主義 無階級社会)に変わっていく、、、というような ことが言いたかったのではないでしょうか。 大筋はこんなかんじだと思います。 日にちが少したっていますが、まだお役にたてるでしょうか? マルクスの考える共産主義の発想として・・・・ マルクスは、市場主義を放置しておけば、資本家、つまり経営者が私腹を肥やすために 労働者の正当な取り分を搾取してしまうと考えました。 そこで、労働者の権利を十分に保障するために、企業を国営化し、生産計画もそれに必要な資源の配分も 政府が一括しておこなうことで、精緻な経済運営をおこなっていこうとしました。 その際、マルクスは、私的所有ということを厳しく戒めました。 すべて... A ベストアンサー 世界的に知名度のある日本の映画監督に溝口健二、小津安二郎、そして黒澤明がいます。 ほかにもカンヌで二度最高賞に輝いた今村昌平監督とか、フランスでも合作を撮っている大島渚監督とかまだ何人もいるんですけど、先の三人はのちの世界中の映画に与えた影響が大きいので、その点では突出してます。 で、黒澤監督ですが、人間ドラマからアクション娯楽作品まで、万人に受けるような作品を作り、またその映画が何度もリメイクされるなど、特に世界の映画情勢に与えた影響が大きかったのが「世界のクロサワ」と呼ばれるゆえんです。 アメリカやイギリスの映画学校の授業ではクロサワ作品が教材になっています。 ボクが見たのは「七人の侍」を使って、人間の動きや、音楽の使い方、編集の技法を学ぶ授業している様子だったのですが、50年も前の作品であれ、映画を目指す人にとっては手本となる作品になっているわけです。 この作品が面白かったら「用心棒」「椿三十郎」など続けてほかの作品も見たくなるはずです。 また現在ハリウッドでリメイクが進行中の「生きる」(トムハンクが主演らしいです)、「酔いどれ天使」(ディカプリオ主演で監督はスコセッシ)などもいいと思います。 高名だったわりに作品の数は少ない監督なので、どれを見ても大きなはずれはありませんし、レンタル店には必ずどれかの作品が置いてあります。 世界的に知名度のある日本の映画監督に溝口健二、小津安二郎、そして黒澤明がいます。 ほかにもカンヌで二度最高賞に輝いた今村昌平監督とか、フランスでも合作を撮っている大島渚監督とかまだ何人もいるんですけど、先の三人はのちの世界中の映画に与えた影響が大きいので、その点では突出してます。 で、黒澤監督ですが、人間ドラマからアクション娯楽作品まで、万人に受けるような作品を作り、またその映画が何度もリメイクされるなど、特に世界の映画情勢に与えた影響が大きかったのが「世界のクロサワ」... A ベストアンサー 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。 リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。 seesaa. html 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義 右派リバタリアン で、それ以後を新保守主義 ネオコン といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン 左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法 戦争など過激な改革を許容する を執ると言う主義 です。 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで 高福祉政策 」などが有ります。 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。 そして変える方向 変えない方向 が自由か統制かで分類できます。 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。 自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。 リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。 seesaa. html 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共... Q 上司から指示を受けて、やったことが指示と違うということが多くて悩んでいます。 メモしても、そのメモ事態がポイントがずれているから始末に置けません。 指示したことと違うと言われて、再度説明を受け、実施したことがまた違うということも良くあります。 お互い嫌ですよね・・・・ どなたか、このようなタイプの私にコツのようなものをアドバイスいただけないでしょうか? 実は、これは自分は一種の障害なのかな?とも思っています。 というのも、メールを見ても話し言葉でないと理解できないことがあるのです。 話し言葉でないと文章が理解できないのはなんとか(名前はわかりませんが)症というそうです。 簡単なことじゃないかといわれるたびに、気持ちがブルーになります。 A ベストアンサー 病気ではないです。 一言でいいますと、あなたには、思考能力が不足しています。 もっと自分で考えてみてください。 考えることによって改善されるはずです。 といきなり厳しいことを書きましたが、私も同じことで悩み続けています。 上司には毎日怒られっぱなしです。 私も自分のこと、ADHD(注意欠陥多動性障害 )なのかなどと悩んだほどです。 ただ、最近、何がいけないのかがなんとなく、わかってきました。 私自身の感じていることを下記に書きますね。 【主な原因】 相手の言行っていることを自分の中の知識の中で考え理解しようとして、結果的に自分の中で新しいことを作ってしまい、相手の指示内容と異なってしまう。 (これって自分では気がつかないんですよね。 これが正しい、あの人はこう言っているって思い込んじゃっているから・・・・・) 【私生活において】 私はそうなのですが、私生活において、結構流されてすごしていませんか?つまり、なぜ?なんで、って考えて自分で納得し、理解してから行動する。 とりあえず、よくわからないけどやってみますか?? ではないですか? 「お前の行動は私生活にもにじみ出ているんだよ」って私は言われました・・・ 【対策】 自分自身の主観的な思い込みはやめる。 相手が何をしてほしいのかを整理して考える。 何をしてほしいのか 何でそれをしてほしいのか? どういうOutPutを望んでいるのか? 私自身も半分くらいしか理解できていないので正確にかけなくてごめんなさい。 もし、相手の指示が悪ければ、相手に対して指示を明確にさせてあげるくらいのレベルになりたいですよ。 【読むべき本】 これは、考えることができない自分。 物事を順序だてて整理できない自分にいつも怒っている上司がアドバイスしてくれた本です。 私が今読み終わった本は、 考えるプロが明かす「思考の生活習慣病」克服法 船川 淳志 著 です。 この本を読んで、心が痛かったです。 なかなかお勧めですね。 ザゴール2は読み物(物語)みたいなので読みやすいそうです。 ただ、何も考えずに読んだら何にもならないぞ。 と言われました。。。。 masadayoさんと私を一緒にしては大変失礼かもしれませんが、私も相手の言っていることを正確に理解し、相手が望む以上のパフォーマンスを出したいと努力しております。 これは病気ではなく、今まで訓練していなかっただけですので、どんどん訓練してこんな状況から早く抜け出たいですね。 お互いがんばりましょう。 病気ではないです。 一言でいいますと、あなたには、思考能力が不足しています。 もっと自分で考えてみてください。 考えることによって改善されるはずです。 といきなり厳しいことを書きましたが、私も同じことで悩み続けています。 上司には毎日怒られっぱなしです。 私も自分のこと、ADHD(注意欠陥多動性障害 )なのかなどと悩んだほどです。 ただ、最近、何がいけないのかがなんとなく、わかってきました。 私自身の感じていることを下記に書きますね。 【主な原因】 相手の言行っていることを自分の... A ベストアンサー すごい教材を使用されていますね。 大学受験レベルなんじゃ。。。 もしかしてその文章の出典は『ヴェニスの商人の資本論』(岩井克人)でしょうか? No,1の方の説明が正しいと思うのですが、もっともっと噛み砕いてみると。。。 まず「形而下学」は形あるもの、目に見えるものと解釈してください。 それに対する「形而上学」は形のないもの、目には見えないものということになりますね。 人間の視点や物理的なもの(形而下学)に対する神の視点や精神的なものが「形而上学」と考えることができると思います。 あと、ソシュールの言語論も把握すると、理解が深まると思います。 人間の頭の中で考えることって、区切りがつけられず【無限】に広がっていきますよね。 世界や宇宙だって、区切りがつけられず【無限】に広がっていく存在です。 人間は他人に対して、そういうものを表現して、考えをわかってもらい、指し示しているものを共有しようとします。 その「表現」の際に使われるのが「ことば」ですよね。 ことばで考えを説明し、ことばで指し示しているものが何かをわかってもらおうとします。 けれども、ことばは【有限】の音の組み合わせですよね。 「椅子」ということばがあれば、「い」という発音と「す」という発音の組み合わせです(厳密には違いますが)。 発音できるものは【有限】というのは、五十音表を見てもわかると思います。 ここで矛盾にお気づきでしょう。 我々は、無限の世界を有限の言葉でしか説明できないのです。 そうすると、ことばはある一つの意味を指すのでは使い切れません。 ことばに複数の意味や広がりのある意味をもたせないと、無限の世界を表現できなくなってしまうのです。 ことばに対してモノが一対一の対応関係をもつことはないのです。 たとえば「犬」ということばを聞いて、あなたと僕とが思い浮かべる「イヌ」は別のものでしょう。 それは、「犬」という言葉が意味するものが広い範囲のものをカバーしているからです。 じゃあその範囲ってどこまでって考えると、それはあいまいなイメージでしかないのです。 範囲を確定しようとすると、「狼」でもなく「豚」でもなく「猫」でもなく「馬」でもなく…と、延々と「犬ではないもの」を消去していくことしかできません。 ことば一つ一つの意味にはこういう広がりがあるわけです。 すると、ことば一つ一つには意味はなく、他のことばとの違い、つまり、【差異】によってしか意味をなさないということがわかると思います。 これを裏返せば、「差異が意味をつくる」ということになります。 ソシュールの話が長くなりましたが、重要なのは最後の段落です。 「差異が意味をつくる」という結論が出ていますが、「広告の形而上学」でも同じようなことが言われてないでしょうか。 広告は「形がない」ものです。 「形のない」商品、つまり形而上的な商品です。 それが商品として成り立つのはなぜなんだろうと考えると、他の広告があって、その広告と違いがあるから商品として成り立つわけですね。 広告同士の差異が広告の価値を決めて、商品として売れるわけです。 たくさんのあふれる広告の中では「差異が意味(価値)をつくっている」わけですね。 おわかりいただけたでしょうか。 長くなりすみません。。。 すごい教材を使用されていますね。 大学受験レベルなんじゃ。。。 もしかしてその文章の出典は『ヴェニスの商人の資本論』(岩井克人)でしょうか? No,1の方の説明が正しいと思うのですが、もっともっと噛み砕いてみると。。。 まず「形而下学」は形あるもの、目に見えるものと解釈してください。 それに対する「形而上学」は形のないもの、目には見えないものということになりますね。 人間の視点や物理的なもの(形而下学)に対する神の視点や精神的なものが「形而上学」と考えることができると思います。 A ベストアンサー あなたが検査の際に採取された、血液や尿などの検体は、病院内の検査部門で検査する場合もありますが、血液や便などは、通常は、専門の検査会社(ラボといいます)に送られて、数値が病院に戻されてきます。 通常3日から1週間で結果が返ってきます。 その結果には、正常、異常の「判定」が掲載されていますが、病院でそれを再チェックするしたり、X線などの画像の判定などをして最終的にあなたの結果を「健診報告書」の形で打ち出すという手順になります。 早いところで即日、1週間くらいのところが多いのですが、あなたがサラリーマンで、受けられた検査がいわゆる「法定健診」ですと、結果は、あなたの会社の総務担当部門を通じて、産業医に送付されますので、1ヶ月以上かかる場合があります。 お急ぎでしたら、病院に直接確認されてはいかがですか? A ベストアンサー 野武士とは特定の君主に仕官しない武士の集団と言う理解で良いと思います。 領地をもっている武士の場合には、なんらかしらの形で自身より強力な勢力の保護を必要としますが(保証してもらわなければ領地を奪われてしまいますから)、野武士の場合は大抵の場合領地からの年貢を経済的な基盤としていませんでした。 また有力な大名の勢力が接する国境に拠点を構えていたようです。 戦時は隣接の大名の傭兵として稼ぎ、平時は国境という大名の勢力が及びにくい街道や水運の要衝において通行料を徴収したり(かわりに野武士の勢力圏での安全を保証していました)、富裕な村落を略奪したりして生活していました。 ただし、「略奪」は野武士に限らず、当時の武士においては軍事演習と実益が得られる一挙両得の行動で、武士として「やましさ」を感じるような行為ではなかったようです。 交通の要衝で通行料を徴収し安全を保証する活動を通して、水運業者や馬借などの陸運業者との繋がりの深い野武士も多く、室町時代初期の「悪党」と呼ばれた武士と共通点が多いように思います(「悪党」には同族的な要素が強いのですが、「野武士」の集団では血縁関係は必ずしも重要な要素ではなかったイメージがあります)。 野武士とは特定の君主に仕官しない武士の集団と言う理解で良いと思います。 領地をもっている武士の場合には、なんらかしらの形で自身より強力な勢力の保護を必要としますが(保証してもらわなければ領地を奪われてしまいますから)、野武士の場合は大抵の場合領地からの年貢を経済的な基盤としていませんでした。 また有力な大名の勢力が接する国境に拠点を構えていたようです。 戦時は隣接の大名の傭兵として稼ぎ、平時は国境という大名の勢力が及びにくい街道や水運の要衝において通行料を徴収したり(か... A ベストアンサー 地球から宇宙船で新しい星を目指して3人の宇宙飛行士が飛び立った。 期間が大分たって(すっごい長い期間です、詳細は忘れましたが) 人が住めそうな星が見つかったので着陸をした。 そこは猿人が支配する世界で、人間は動物のように飼われていた。 (言葉は喋れない) そこで、宇宙船で着陸した時に仲間と別れ別れになった、仲間を探していると、仲間が猿に脳を手術されていて動物のようになっていた。 いろいろと事件が起こって、主人公と飼われていた女性の間に恋が芽生え、猿人の支配から逃げって新たな土地を目指していったところで、自由の女神のかけらを発見して、ここが地球だという事がわかった。 っていうストーリーでしたよ.

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