ほう せん ちゅう がく。 第94回:新渡戸仙岳(にとべせんがく)|盛岡市公式ホームページ

“ネタを書いてないほう”のちゅうえい、ナダル、ゾフィーサイトウが宮藤官九郎に愚痴(お笑いナタリー)

ほう せん ちゅう がく

アフガニスタンで 砂 さ 漠 ばくを 緑 みどりにかえ、 多 おおくの 人 ひとの 命 いのちを 助 たすけたお 医 い 者 しゃさん、 中 なか 村 むら 哲 てつ 先 せん 生 せいが 亡 なくなって4日で 半 はん 年 としがたちます。 村 むらの 畑 はたけに 水 みずをとどける 用 よう 水 すい 路 ろをつくっていた 中 なか 村 むら 先 せん 生 せいは 昨 さく 年 ねん12月4日、 工 こう 事 じ 現 げん 場 ばに 行 いくとちゅうにだれかに 銃 じゅうで 撃 うたれました。 中 なか 村 むら 先 せん 生 せいには、みんなに 伝 つたえたいメッセージがたくさんありました。 もの 知 しりこどもタイムズの 紙 し 面 めんでは、 先 せん 生 せいの 言 こと 葉 ばと 勇 ゆう 気 きを「 中 なか 村 むら 哲 てつ 先 せん 生 せいの 物 もの 語 がたり」として3月10~19日( 計 けい6 回 かい)に 記 き 事 じで 紹 しょう 介 かいしました。 多 おおくの 子 こどもたちから 感 かん 想 そう 文 ぶんと 絵 えがとどいています。 2 回 かいにわけて 紹 しょう 介 かいします。 これこそ 中 なか 村 むら 先 せん 生 せいが 言 いう「 平 へい 和 わには 戦 せん 争 そう 以 い 上 じょうの 忍 にん 耐 たいと 努 ど 力 りょくがいる」ということだと 思 おもいます。 戦 せん 争 そうをするということは、だれだってできると 思 おもいます。 銃 じゅうをもち、 人 ひとを 殺 ころし、 争 あらそえばいいのです。 平 へい 和 わをつくるということは、 中 なか 村 むら 先 せん 生 せいのように 自 みずから 行 こう 動 どうし、あきらめずにやりきることだと 思 おもいます。 中 なか 村 むら 先 せん 生 せいの 話 はなしを 読 よんで、 勇 ゆう 気 きがあるなと 思 おもいました。 アフガニスタンは 戦 せん 争 そうが 起 おこっているから、いつ 殺 ころされるかわからない。 そういう 状 じょう 況 きょうでも、こわがりませんでした。 私 わたしは 中 なか 村 むら 先 せん 生 せいのように、 自 じ 分 ぶんの 命 いのちより 人 ひとの 命 いのちを 先 さきに 考 かんがえ、 勇 ゆう 気 きをもって 自 みずから 行 こう 動 どうできるような 人 ひとになります。 ( 城 き 戸 ど 心 み 琴 こと=12歳 福 ふく 岡 おか 県 けん 久 く 留 る 米 め 市 し・ 中 ちゅう 学 がく 生 せい) 苦手なことでも、努力をすれば必ずできる 水 みずは、 料 りょう 理 りや 飲 のみ 物 もの、 洗 あらい 物 ものなどでふだんからみぢかにあるものですが、アフガニスタンでは「 命 いのちの 水 みず」というほど 大 たい 切 せつなものということをあらためて 知 しりました。 中 なか 村 むら 哲 てつ 先 せん 生 せいは 自 じ 分 ぶんは 数 すう 学 がくが 苦 にが 手 てなのに、 高 こう 校 こう 生 せいの 娘 むすめから 教 きょう 科 か 書 しょを 借 かりていっしょうけんめい 勉 べん 強 きょうして、 用 よう 水 すい 路 ろの 設 せっ 計 けい 図 ずをかいたことがすごいなと 思 おもいました。 これは 自 じ 分 ぶんが 苦 にが 手 てなことでも、 努 ど 力 りょくをすれば 必 かならずできるということかなと 思 おもいます。 中 なか 村 むら 哲 てつ 先 せん 生 せいのことばと 勇 ゆう 気 きを、これからもわすれないようにしていきます。 ( 師 もろ 岡 おか 幸 こう 汰 た=11歳 福 ふく 岡 おか 県 けん 朝 あさ 倉 くら 市 し・ 小 しょう 学 がく 生 せい) 中村さんは、工事中でもとてもえがお ぼくは、 中 なか 村 むら 哲 てつさんのことをしりませんでした。 中 なか 村 むら 哲 てつさんは、アフガニスタンという 日 にっ 本 ぽんとちがう 国 くにをしえんしたことがすごいと 思 おもいます。 お 医 い 者 しゃさんなのに、1 本 ぽんの 用 よう 水 すい 路 ろを7 年 ねんもかけてつくれたのです。 中 なか 村 むら 哲 てつさんは、 工 こう 事 じ 中 ちゅうでもとてもえがおということが 写 しゃ 真 しんを 見 みてわかりました。 ( 秦 はだ 崇 たか 博 ひろ=9歳 福 ふく 岡 おか 県 けんうきは 市 し・ 小 しょう 学 がく 生 せい) 一しょうけん命、生きていきたいなあ 中 なか 村 むら 先 せん 生 せいが 銃 じゅうでうたれて 亡 なくなったことが 毎 まい 日 にちのように 新 しん 聞 ぶんにのっていて、たくさんの 人 ひとがかなしんでいた。 それだけすごい 人 ひとだったんだなあと 思 おもった。 ぼくは 中 なか 村 むら 先 せん 生 せいのようになれないなあと 思 おもった。 でも 一 いっしょうけん 命 めい、 生 いきていきたいなあと 思 おもった。 ( 山 やま 口 ぐち 遼 りょう=9歳 福 ふく 岡 おか 市 し 東 ひがし 区 く・ 小 しょう 学 がく 生 せい) 中村先生みたいにいどをほりたい 中 なか 村 むらてつ 先 せん 生 せいにおしえてもらったことは、みんな 本 ほんとうはせんそうじゃなくて、へいわにくらしたいということです。 へいわをつくるためには、ど 力 りょくがいります。 中 なか 村 むらてつ 先 せん 生 せいがすごいところは、いどをほったことと、 自 じ 分 ぶんのためじゃなくて 人 ひとのためにしたことです。 ぼくも、 中 なか 村 むらてつ 先 せん 生 せいみたいになるために、まずはど 力 りょくと 人 ひとの 気 きもちをかんがえることをがんばります。 ぼくは、2 年 ねん 生 せいになりました。 2 年 ねん 生 せいになって、がんばりたいことは、べんきょうです。 なぜなら、 中 なか 村 むらてつ 先 せん 生 せいみたいにいっぱいべんきょうをして、ほかの 人 ひとをたすけたいからです。 べんきょうをしたら、 火 ひはどうして 水 みずをかけたらきえるのかとか、いろいろなことを 学 まなべるからです。 そして 水 みずがないくにに、じぶんがつくったもので 水 みずをはこんで、 中 なか 村 むらてつ 先 せん 生 せいみたいにいどをほりたいです。 こまっている 人 ひとをたすけて、みんながしあわせにくらしてほしいです。 ( 菅 すが 原 はら 朝 あさ 陽 ひ=7歳 福 ふく 岡 おか 市 し 南 みなみ 区 く・ 小 しょう 学 がく 生 せい) ぼくも人のためになにかしたい 中 なか 村 むら 先 せん 生 せいは、お 医 い 者 しゃさんなのに、 用 よう 水 すい 路 ろのこうじを、 人 ひとのためにしてあげていたところがすごいなと 思 おもいました。 ぼくも 中 なか 村 むら 先 せん 生 せいのように、 人 ひとのためになにかしたいです。 ( 安 あ 部 べ 隆 たか 任 とう=7歳 福 ふく 岡 おか 県 けん 福 ふく 津 つ 市 し・ 小 しょう 学 がく 生 せい) だれも行かないから、私たちが行く 中 なか 村 むら 先 せん 生 せいの 言 こと 葉 ばで 印 いん 象 しょうに 残 のこったのは「だれも 行 いかないから、 私 わたしたちが 行 いくのです」。 中 なか 村 むら 先 せん 生 せいは、 食 たべ 物 ものも 水 みずもないところに、 水 みずが 必 ひつ 要 ようだと 思 おもいました。 その 後 ご、 水 みずを 流 ながして、 食 たべ 物 ものが 作 つくれるようになりました。 そんなふうに 考 かんがえるところがすごいと 思 おもいました。 ( 伊 い 東 とう 晃 こう 輔 すけ=12歳 福 ふく 岡 おか 市 し 中 ちゅう 央 おう 区 く・ 中 ちゅう 学 がく 生 せい) 中村先生を知らない人たちに伝えたい 中 なか 村 むら 哲 てつ 先 せん 生 せいがしてきたことは、 全 ぜん 世 せ 界 かいが「 平 へい 和 わ」になるためのお 手 て 本 ほんだと 思 おもいます。 武 ぶ 器 きを 持 もたないで 平 へい 和 わなくらしができるいい 世 せ 界 かいになってほしいと、 先 せん 生 せいは 願 ねがっていると 思 おもいます。 それを 伝 つたえていくのが 私 わたしたちにできることで、 中 なか 村 むら 先 せん 生 せいをまだ 知 しらない 人 ひとたちに、お 医 い 者 しゃさんとしてアフガニスタンなどで35 年 ねん 間 かんどんなことをしたのか 伝 つたえていきたいです。 大人 おとなになってもわすれません。 ( 上 うえ 村 むら 奈 な 央 お=11歳 福 ふく 岡 おか 県 けん 朝 あさ 倉 くら 市 し・ 小 しょう 学 がく 生 せい) 争いをやめて友達になれる日がくる 「 平 へい 和 わには 戦 せん 争 そう 以 い 上 じょうの 力 ちからがあり、 平 へい 和 わには 戦 せん 争 そう 以 い 上 じょうの 忍 にん 耐 たいと 努 ど 力 りょくがいる」という 中 なか 村 むら 先 せん 生 せいの 名 めい 言 げんについて 考 かんがえました。 アフガニスタンでは 争 あらそいが 続 つづいています。 日 にっ 本 ぽんでもこのような 時 じ 代 だいがありました。 昭 しょう 和 わ 時 じ 代 だいの 第 だい2 次 じ 世 せ 界 かい 大 たい 戦 せんです。 日 にっ 本 ぽんもやられる 前 まえにやったり、やられたらやりかえしたりしていました。 先 せん 生 せいの 名 めい 言 げんの 忍 にん 耐 たいとかけはなれています。 これは 日 ひごろでいうけんかです。 だから、けんかでたたき 合 あい、たたかれたらたたくなどのし 返 かえしをせずに、たたかずにがまんすれば、いつの 間 まにか 友 とも 達 だちになれる 日 ひがくると 思 おもいます。 ( 梅 うめ 野 の 響己 ひびき=12歳 福 ふく 岡 おか 県 けん 篠 ささ 栗 ぐり 町 まち・ 中 ちゅう 学 がく 生 せい) アフガニスタンに平和な土地がふえるといいな 中 なか 村 むら 先 せん 生 せいがやったことですごいと 思 おもったことの 一 ひとつは、 医 い 者 しゃとして 多 おおくの 人 ひとの 病 びょう 気 きを 治 なおして、たくさんの 人 ひとの 命 いのちをすくった 事 ことです。 こまっている 人 ひとを 助 たすけたいという 思 おもいが 強 つよいと 思 おもいました。 がんばって 緑 みどりをふやし、アフガニスタンに 平 へい 和 わな 土 と 地 ちがふえるといいなとねがっています。 ( 梅 うめ 野 の 陽向 ひなた=10歳 福 ふく 岡 おか 県 けん 篠 ささ 栗 ぐり 町 まち・ 小 しょう 学 がく 生 せい) 素晴らしい大先輩がいることを誇りに思う 僕 ぼくの 座 ざ 右 ゆうの 銘 めいは、「 蟻 ありの 門 もん 人 じんとなるなかれ」。 これは、 福 ふく 沢 ざわ 諭 ゆ 吉 きちが「 学 がく 問 もんのすゝめ」に 書 かいた 言 こと 葉 ばです。 僕 ぼくは、 中 なか 村 むら 先 せん 生 せいほど 強 つよくはなれないかもしれないけど、 大人 おとなになったら、 困 こまっている 人 ひとを 助 たすけ、 人 ひとの 役 やくに 立 たつ 仕 し 事 ごとをしたいと 思 おもいます。 福 ふく 岡 おかに 中 なか 村 むら 先 せん 生 せいのような 素 す 晴 ばらしい 大 だい 先 せん 輩 ぱいがいることを 誇 ほこりに 思 おもいます。 ( 清 きよ 武 たけ 琳 りん=11歳 福 ふく 岡 おか 県 けん 粕 かす 屋 や 町 まち・ 小 しょう 学 がく 生 せい) アフガニスタン人の笑顔が印象に残った 私 わたしは 母 ははに 勧 すすめられ、 中 なか 村 むら 先 せん 生 せいの 記 き 事 じを 読 よみはじめました。 それまでは 中 なか 村 むら 先 せん 生 せいの 事 ことをあまり 知 しりませんでしたが、とても 大 おおきなことを 成 なし 遂 とげていて 驚 おどろきました。 印 いん 象 しょうに 残 のこっている 写 しゃ 真 しんは 用 よう 水 すい 路 ろのおかげで 果 くだ 物 ものがとれるようになった 市 いち 場 ばと、「ナカムラ」という 名 な 前 まえがつけられた 赤 あかちゃんです。 アフガニスタンの 人 ひとのうれしそうな 笑 え 顔 がおが 強 つよく 印 いん 象 しょうに 残 のこっています。 中 なか 村 むら 先 せん 生 せいの 生 いき 方 かたから 学 まなんだことを 大 たい 切 せつにし、 私 わたしも 人 ひとを 笑 え 顔 がおにできるような 人 ひとになりたいです。 ( 五 ご 島 しま 優 ゆ 芽 め=14歳 福 ふく 岡 おか 市 し 東 ひがし 区 く・ 中 ちゅう 学 がく 生 せい) 命だけでなく、くらしも支えた 私 わたしは、 日 にっ 本 ぽんでもない 他 ほかの 国 くにに 行 いって、 人 ひとの 命 いのちにむきあいつづけたことがすごいと 思 おもいます。 人 ひとの 命 いのちだけでなく、くらしも 支 ささえてすごいなあと 思 おもいました。 ( 重 しげ 松 まつさくら=11歳 福 ふく 岡 おか 県 けん 朝 あさ 倉 くら 市 し・ 小 しょう 学 がく 生 せい) 反撃しないという本当の勇気を学んだ いくら 相 あい 手 てに 攻 せめられても、 中 なか 村 むら 先 せん 生 せいはじっとがまんして 反 はんげきしないという、 本 ほん 当 とうの 勇 ゆう 気 きがとってもすごいと 思 おもいました。 中 なか 村 むら 先 せん 生 せいはアフガニスタンに 幸 しあわせをもたらした、とってもやさしいすてきな 先 せん 生 せいだと 感 かんじました。 そんな 先 せん 生 せいが 亡 なくなってしまったのはとっても 悲 かなしいです。 中 なか 村 むら 先 せん 生 せいは、ぼくたちに、たくさんの 大 たい 切 せつな 思 おもいを 残 のこしていったと 思 おもいます。 ( 田 た 中 なか 紘 ひろ 斗 と=11歳 福 ふく 岡 おか 県 けん 朝 あさ 倉 くら 市 し・ 小 しょう 学 がく 生 せい) 60万人が安心してすめるようになった お 医 い 者 しゃさんなのに、 用 よう 水 すい 路 ろをつくってすごいですね。 ふるさとをはなれていた 人 ひと、 食 たべ 物 ものに 困 こまっていた 人 ひとなど、60 万 まん 人 にんもの 人 ひとが 安 あん 心 しんしてこの場しょにすめるようになって、とてもすごいですね。 アフガニスタンの 人 ひとたちみんながゆたかにくらせたらいいですね!( 藤 ふじ 木 き 志 し 音 おん=8歳 佐 さ 賀 が 県 けん 神 かん 埼 ざき 市 し・ 小 しょう 学 がく 生 せい) いつか、世界が平和になりますように 中 なか 村 むら 先 せん 生 せいが 亡 なくなる 前 まえは 名 な 前 まえしか 知 しらなかった。 とつぜん 亡 なくなり、 大 おおきく 報 ほう 道 どうされ、あらためてすごかったんだなと 思 おもった。 今 いまでもペシャワール 会 かいの 人 ひとたちが 意 い 志 しをうけついでいる。 いつか、この 世 せ 界 かいが 平 へい 和 わになりますように、と 私 わたしもおうえんしようと 思 おもった。 ( 山 やま 口 ぐち 百 もも 花 か=12歳 福 ふく 岡 おか 市 し 東 ひがし 区 く・ 中 ちゅう 学 がく 生 せい) 異国の人にでも、どんな人にでも 中 なか 村 むらさんの「 平 へい 和 わには 戦 せん 争 そう 以 い 上 じょうの 力 ちからがあり、 平 へい 和 わには 戦 せん 争 そう 以 い 上 じょうの 忍 にん 耐 たいと 努 ど 力 りょくがいる」という 言 こと 葉 ばにとても 心 こころをうたれ 共 きょう 感 かんしました。 私 わたしも、 中 なか 村 むらさんのような、 異 い 国 こくの 人 ひとにでも、どんな 人 ひとにでも 人 ひとのためになれることができる 人 ひとになりたいなと 思 おもいました。 ( 與 よ 世 せ 田 だ 音 ね 瑠 る=11歳 福 ふく 岡 おか 県 けん 朝 あさ 倉 くら 市 し・ 小 しょう 学 がく 生 せい).

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ほうさんちゅう ちいさな ふしぎな 生きものの かたち|絵本ナビ : 松岡 篤,かんちく たかこ みんなの声・通販

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花を構成している花葉のうち,いちばんにあるもので,そのさらに外 下 側にはがあり,内 上 側には 花冠 がある。 萼は花により何枚ずつかのから,多くの場合花冠が美しいのに対して,であって葉に近いが,などのように花弁と同様になったものもある。 なお萼片はそれぞれが分れているもの アブラナ,ベンケイソウなど と,互いに合着しているもの サクラ,オドリコソウなど とある。 萼片が基部で,またはまで,癒合してになった部分を calyx tubeという。 萼が著しく変形したものとしては,の花ののようなものがある。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について の解説 花の構成要素の一つで、内外2輪がはっきり区別できる花被 かひ (異花被花)の外輪を萼という。 普通は内輪(花冠)よりも小さくて厚く、クロロフィルを含み緑色を呈し、外面には毛があるものが多く、つぼみの状態で花の内部の諸器官を保護する。 しかし、キンポウゲ科などでは萼は色づいて花弁状になるものが多く、昆虫誘引の役目をもつ。 萼で構成している花葉 かよう は萼片とよばれ、葉と相同と考えられる。 モクレン科などのようにそれぞれの萼片は離生し、花が終わると落ちるものが原始的とみなされる。 ケシなどでは萼は花冠よりも早く、開花に伴って落ちる。 多くの科では萼は宿存するが、果実についている宿存萼はへたとよばれる。 ホオズキなどでは萼は花期後に成長して果実を包むようになる。 花冠と同様に、進化した花では各萼片は合着して合弁萼となる。 合弁萼の上部は普通は裂片に分かれ、下部は筒状となるが、筒状部が伸長して子房を包むようになったものを萼筒 がくとう という。 普通、萼裂片の基部のあたりに花冠や雄しべがつくので、萼筒を形成する花は一般に子房は下位となる。 キク科では萼裂片は退化しているものが多く、また変形して鱗片 りんぺん や冠毛になる。 [田村道夫] …例えばソテツ,イチョウ,マツなどの裸子植物の生殖器官を含めたり,さらには胞子生殖をするツクシの穂をも花とする見解もある。 [花の概念] 被子植物の花は見かけ上はさまざまな形があるものの,基本的には同じで,小胞子葉と大胞子葉にそれぞれ相同なおしべとめしべ,さらに萼と花冠があり,それらが付着する花托からなっている。 裸子植物の生殖器官には,萼や花冠はないが,軸の先に小胞子葉や大胞子葉が集まったものであり,シダ植物の胞子囊穂(ほうしのうすい)も胞子葉や胞子囊托が集まったものである。 出典| 株式会社平凡社 世界大百科事典 第2版について.

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新 しん 型 がた 肺 はい 炎 えんで 傷 きずつけないで 2020年2月13日付 文 もん 科 か 省 しょうが 注 ちゅう 意 いを 呼 よびかけ 「 感 かん 染 せんしている」とからかい 新 しん 型 がたコロナウイルスの 感 かん 染 せんの 広 ひろがりが 心 しん 配 ぱいされています。 一 いっ 方 ぽうで、 新 しん 型 がたコロナウイルスに 関 かん 連 れんしたいじめが 起 おきています。 差 さ 別 べつが 起 おこらないよう、 文 もん 部 ぶ 科 か 学 がく 省 しょうなども 注 ちゅう 意 いを 呼 よびかけています。 ( 近 こん 藤 どう 理 り 恵 え) 入 にゅう 院 いん 先 さきある 町 まちで 新 しん 型 がた 肺 はい 炎 えんに 関 かん 連 れんしたいじめが 報 ほう 告 こくされています。 千 ち 葉 ば 県 けん 鴨 かも 川 がわ 市 しには、 感 かん 染 せんが 確 かく 認 にんされた日本 人 じんが 入 にゅう 院 いんした 病 びょう 院 いんがあり、そこで 働 はたらく 人 ひともいます。 こうしたことから、 鴨 かも 川 がわ 市 しの 教 きょう 育 いく 委 い 員 いん 会 かいは3日、七つの 小 しょう 学 がっ 校 こうと三つの 中 ちゅう 学 がっ 校 こうの 子 こどもたちに「コロナウイルスに 関 かん 連 れんして 最 さい 近 きんいやな 思 おもいをしたことはありますか」と 質 しつ 問 もんしました。 その 結 けっ 果 か、 小 しょう 学 がく 生 せい4 人 にん、 中 ちゅう 学 がく 生 せい1人が「コロナウイルスにかかっているとからかわれた」などと 答 こたえました。 千 ち 葉 ば 県 けん 教 きょう 育 いく 委 い 員 いん 会 かいは「 中 ちゅう 国 ごくから 帰 き 国 こくした 児 じ 童 どう 生 せい 徒 とへの 適 てき 切 せつな 対 たい 応 おう」とする 通 つう 知 ちを 学 がっ 校 こうなどに 配 くばりました。 「みなさんの 仲 なか 間 まを 傷 きずつけるような 言 こと 葉 ばや 行 こう 動 どう」への 注 ちゅう 意 いを 呼 よびかけています。 文 もん 部 ぶ 科 か 学 がく 省 しょうも 小 しょう 中 ちゅう 学 がっ 校 こうなどに 対 たいして、 感 かん 染 せん 症 しょうに 関 かん 連 れんした 差 さ 別 べつがないように、と 呼 よびかけました。 お 店 みせで 入 にゅう 店 てん 拒 きょ 否 ひ ほかにも、 感 かん 染 せんをこわがるあまり、 新 しん 型 がた 肺 はい 炎 えんに 対 たいする 行 いきすぎた 反 はん 応 のうが 出 でています。 1月には、 神 か 奈 な 川 がわ 県 けん 箱 はこ 根 ね 町 まちの 駄 だ 菓 が 子 し 店 てんが「 感 かん 染 せんをさけるため」として、 中 ちゅう 国 ごく 人 じんがお 店 みせに 入 はいることを 禁 きん 止 しする 中 ちゅう 国 ごく 語 ごのはり 紙 がみを 出 だし、これを 批 ひ 判 はんする 声 こえがあがりました。 よく 知 しり 冷 れい 静 せいに 判 はん 断 だんを いじめになやむ 子 こどもたちのために 情 じょう 報 ほうを 発 はっ 信 しんする N エヌ P ピー O オー 法 ほう 人 じん「ストップいじめ!ナビ」 副 ふく 代 だい 表 ひょう 理 り 事 じの 須 す 永 なが 祐 ゆう 慈 じさんの 話 はなし どんなことでも、 人 ひとが 傷 きずつく 言 こと 葉 ばは 言 いってはいけません。 友 ともだちと「ウイルスにかかっているだろう?」などと、おもしろ 半 はん 分 ぶんで 話 はなすこともあると 思 おもいます。 しかし、それが、 差 さ 別 べつ 的 てきな 言 げん 動 どうに 発 はっ 展 てんしてしまうことが 心 しん 配 ぱいです。 軽 かる 々 がるしく 言 いったことが 次 し 第 だいにうわさとなって 広 ひろがり、それを 信 しんじてしまう 人 ひともいるからです。 もし 新 しん 型 がた 肺 はい 炎 えんのことが 気 きになるのならば、 正 ただしい 情 じょう 報 ほうを 自 じ 分 ぶんで 調 しらべてみましょう。 よく 知 しり、 冷 れい 静 せいに 判 はん 断 だんしてください。 保 ほ 護 ご 者 しゃが 気 き 楽 らくに 話 はなしたことを 子 こどもは 真 まに 受 うけることもあります。 親 おやが 差 さ 別 べつ 的 てきな 発 はつ 言 げんをすると、それをまねてしまうのです。 大人 おとなたちは、 自 じ 分 ぶんの 発 はつ 言 げんの 影 えい 響 きょう 力 りょくを 改 あらためて 考 かんがえてほしいと 思 おもいます。 ヨーロッパでは、 新 しん 型 がた 肺 はい 炎 えんのことで、アジア 人 じんに 対 たいする 差 さ 別 べつも 起 おきているようです。 人 じん 種 しゅなど、ある 一 いっ 定 ていの 人 ひとたちを 大 おおきくくくりはじめると、それは 差 さ 別 べつに 発 はっ 展 てんします。 予 よ 防 ぼうには 手 て 洗 あらいが 有 ゆう 効 こう 厚 こう 生 せい 労 ろう 働 どう 省 しょうによると、 新 しん 型 がた 肺 はい 炎 えんは2 通 とおりの 感 かん 染 せんが 考 かんがえられます。 「 飛 ひ 沫 まつ 感 かん 染 せん」は、 感 かん 染 せん 者 しゃの 飛 ひ 沫 まつ(くしゃみやつば)といっしょにウイルスが 出 でて、 他 ほかの 人 ひとがそれを 口 くちや 鼻 はなから 吸 すいこんで 感 かん 染 せんすること。 「 接 せっ 触 しょく 感 かん 染 せん」は、ウイルスがついたドアノブなどをさわり、その 手 てで 口 くちや 鼻 はなをさわって、 粘 ねん 膜 まくから 感 かん 染 せんすることです。 感 かん 染 せんの 予 よ 防 ぼうには、せっけんやアルコール 消 しょう 毒 どく 液 えきなどによる 手 て 洗 あらいが 有 ゆう 効 こうです。 イラスト・山本正子 中国の武漢市から帰国し、感染していないとわかるまでホテルにいる人たちのため、地元の人たちが砂浜で竹どうろうをともし「あと少しです。 がんばれ」などとメッセージを送りました=11日、千葉県勝浦市 C 朝日新聞社.

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