から ゆき さん。 「からゆきさん」と呼ばれた日本人娼婦たちの歴史的写真:ザイーガ

からゆきさん

から ゆき さん

唐行きさん 名前の背景には数え尽くせない心の傷 これまでにも『』や『』などを紹介してきました。 今日紹介するのは19世紀後半の日本の『からゆきさん』の写真です。 からゆきさん・唐行きさん 『からゆきさん』とは19世紀後半に東アジアや東南アジアに渡り、娼婦として働いた女性の呼称です。 日本語で『唐』とは中国のことを指しますが、中国だけでなく海外の様々な地域に渡っていました。 『からゆきさん』の多くは貧しい家庭の少女たちでした。 彼女たちは親に支払われた金銭と引き換えに海外に渡りました。 日本では彼女たちのことは『娘子軍』とも呼ばれていました。 『からゆきさん』は主に中国、香港、フィリピン、ボルネオ、タイ、インドネシアなどアジア各地の欧米の植民地に渡航しました。 植民地に駐留している欧米の軍隊の性的な需要を満たすためです。 シベリア、満州、ハワイ、北米(カリフォルニアなど)、アフリカ(ザンジバルなど)に渡った例もあるそうです。 『からゆきさん』は明治末期に最も栄えましたが、その後、日本の国勢が盛んになると、彼女たちは「日本の恥」だと見られるようになります。 そして、1920年の廃娼令により『からゆきさん』という職業はなくなることになります。 海外にいた『からゆきさん』はみな日本に帰ったのでしょうか? 中には帰らず現地に残ることを選んだ女性もいます。 子供の頃に親に売られ、日本に戻ってもどこに帰っていいのか分からなかったからです。 仮に戻ったとしても、国の恥と見なされた彼女たちの将来は決して明るくはなかったでしょう。 >< 花魁道中 台湾人の反応• 夜遅くにこの写真を見たら、なんだか怖くなってきた。 花魁道中の上の写真の花魁、全てが女王レベル!!! すごく綺麗だし気品もある!!• すごく高い靴を履いてるから、展示品みたいな感じだね…• この写真は右クリックで保存せずにはいられない>_< 美人だなぁ。 これら昔の写真を見ると、すごく美しい…。 でも、彼女たちの人生を思うと本当に悲しくて辛いよ…。 昔の日本では多くの人がとても苦労していた。 これらの写真を見ると不完全な美しさがある。 きっと、彼女たちそれぞれの背景には数多くの物語があるんだろう。 超キレイ!• これは19世紀だよ。 第一次世界大戦すらまだ始まってないってば。 女性は本当にかわいそう。 貧しいと売られてしまう。 現代、いまこの瞬間にも依然として起こっている!• 彼女達なんだかすごく可哀想だね。 でも着物はどれもとても綺麗。 私は特に靴が気になった。 すごく厚底の靴もあるね。 きっとすごく重いんじゃない!?• 花魁道中で歩くときは外側で八の字、内側で八の字と歩くから。 『仁』で中谷美紀が歩いていたようにね。 映画のさくらんでも見れるよ~。 だれひとり笑顔の美人はいないね…… 40021 : 名無しさん:2014年3月10日 13時56分 ID:MDJmNzE2 「東南アジア諸国の人びとの眼から見れば、日本は、第二次世界大戦までは軍事侵略を敢行し、その失敗後は矛を資本に変えて侵略をつづけている国であり民族である。 とすれば、からゆきさんという存在も、個人的にはその不幸に満腔の同情を寄せたとしても、民族的立場に立ちかつ政治的文脈において見るなら、やはり日本のアジア侵略の一環だったということになるざるを得まい。 39964 : 名無しさん:2014年3月9日 17時45分 ID:YjUxNTUz 身を売ることは昔から恥だったし、国がそれを奨励する事も恥だった、だからいつか終わらせなくちゃいけない事ではある 切捨てが酷いとは言うが、法で規制すべきじゃ無かったって意味ではないよね? 身を張って貴重な外貨を稼いだ国家的英雄として祭り上げ、記念館でも作れって事? 当事者の身になったらできるだけそっとしておいて欲しいと思うんだが、「この悲惨な歴史を風化させないように記念日を作り末永く語り継ぎましょう」って積極的に取り上げ、当時の「からゆきさん」を引っ張り出して、学生相手に悲惨な体験を語らせるの? 重要なのは、どんなに悲惨な出来事でもきちんとありのままに記録を保存し受け継ぐ事だと思うんだ どこの事とは言わないけど、「最初から無かった事」として記録を抹消したり改竄したり緘口令で積極的に人々の頭から消し去る行為が本当に「酷い」事なんじゃないかな 39970 : 名無しさん:2014年3月9日 18時40分 ID:Nzk0YjEx アフリカ タンザニアのザンジバル島に行ったことあるけど、当時の娼館がまだ残ってるよ。 現地ではJapanese barと呼ばれていた。 なにも知らずに写真撮ってたら(雰囲気のいいアパートみたいだった。 なんか懐かしい感じ)近所のおっさんがここが何か教えてくれた。 50年ほど前までは最後のからゆきさんが存命だったそうで現地の人たちとは友好的な関係だったらしい。 昔のザンジバルは黒人奴隷貿易の拠点で様々な国の人が訪れていたから、そいつら相手にしてたんだろうね。 なんか不思議な感覚だったよ。 アフリカを旅してて日本の歴史を感じるのは。 136263 : 名無しさん:2015年8月17日 22時48分 ID:MTk2YzZl からゆきさんを当時の政府が奨励? ありえないでしょ。 黙認はされていたでしょうが。 国内の女郎制度の海外バージョンでしょ。 ただし、年季奉公的に扱う国内の価値観ではなくて 国外の場合は単に性を売らされたってことなのかと。 サンダカンの墓? 無理矢理脚色してないかい? 日本に背を向けた墓? 日本を嫌ってたら日本に面する海辺に建てずに反対の内陸に建てるでしょ。 背を向ける? 普通に建てたら海側が背になるでしょ。 山間部に建てた場合、大抵は山側が背になる。 あれは山を嫌っているのか? 当時の彼女たちは、色々な状況の中で人生に負けずに精一杯立派に生きてこられたと思います。 可哀想というのは簡単だけど、言葉だけの同情なんて逆に侮辱ですよ。 同情を寄せる気持ちは優しい気持ちだと思いますが、度を超えると彼女たちの自尊心を傷付けてしまうように思える。 静かに手を合わせたい。 故郷に帰りたくても帰れなかった彼女たちの人生に。 143019 : 名無しさん:2015年9月25日 15時35分 ID:MTMyMDFl 明治政府にとって、一種の国家プレジェクトだったんですよ、唐行きさんって 東南アジアに駐留してる欧米からの要請もあってドンドン海外に売ってた 日露戦争時なんかは、シンガポールにいた唐行きさんたちが交代で 入港してくるロシア戦艦を見張って、日本大使館に報告してた逸話もある なのに、国は彼女たちを国の恥として黒歴史として隠ぺいしたわけだ 元はと言えば、本人ではなく親の借金の為に体を売ることを強要されただけなのに 日記の中で「月で1度は死にたくなるほど辛い時がある」と書いてたり そういう時代だったとはいえ、苦痛だったと思うよ 今でも風俗してる女性は精神病んでる人多いからね 好きでもない相手と行為をし続けるというのは、苦痛でしかない 149664 : 名無しさん:2015年11月4日 21時05分 ID:MzQzYmUz 可哀想だし辛かっただろうけど、我らが彼女たちの人生を憐れむのは間違い。 地震、台風という天災国だから、貧しい農村が食べていけない時代は日本にあった。 丁稚とか奉公勤めはまだオケーで、もっと貧しいと娘が売られた。 高齢の老人は姥捨て山へ行った。 しかーし、売られた娘が女手一本で公娼館を立ち上げた人もいた。 病気で死んだ人もいたし、金持ちの愛人になる人もいた。 戦時中、従軍慰安婦になった人もいた。 でも一方で、80才以上と長らえながら、「昔、慰安婦にさせられた」とお金を要求する人もいる、by韓国。 日本人の彼女たちは、「昔、慰安婦にさせられた」と一切お金を要求していない。 どんな状況に落されようとも、自分は、彼女たちはがんばって生きたんだと思うよ。 239729 : 名無しさん:2017年2月24日 05時37分 ID:NGFmMzUx 日本人が哀れまなくて、いったい誰が 彼女たちの無念さを分かってあげられるんだ? ここにいる日本人よりずっと台湾人の方が 彼女達の苦労を理解し同情出来ているじゃないか 東南アジアだけじゃなく、アフリカまで売られた日本人女性たちもいたんだぞ アフリカ人でさえ「彼女達の話を聞いてくれ・・・」と 日本人に当時の話をしてくれるというのに 「仕方なかった。 可哀想じゃない。 哀れむのはおかしい」だと??? 日本人ほど人の心を持たない民族はいないとハッキリわかるな お前らより台湾人アフリカ人の方が 彼女達の心情を思って涙を流せるんだからな 149668 : ID:MzQzYmUz:2015年11月4日 21時29分 ID:MzQzYmUz そういえばうちの死んだ母は結婚二か月目、 調理人の最初の夫がアメリカ軍の爆撃で乗船した戦艦を沈められた。 戦争当時のことを晩年まで一切語りたがらなかったけど、 貧乏なのにその人の遺族年金? みたいなのは拒否してたらしい。 亡くなった夫の遺産みたいなのも拒否してた。 小学校出だけど本が好きで、労働大学にも通ったけど「あれは共産党や」とか言ってた。 つまり、なんか、自分はそれで「別にいいんじゃね?」と思う。 誇りというのは、結局、自分の経験の範疇でしか判断できないし、誇りを失わないのが日本人だと思う 239728 : 名無しさん:2017年2月24日 05時33分 ID:NGFmMzUx 2度と祖国の地を踏むことはなかったです 欧米の要請とはいえ、自国の女性を海外に売り飛ばしたことは批判されるべき 宣教師とクリスチャン大名が日本人を奴隷として 海外に売り飛ばしているのを知って激怒した秀吉が聞けば何と言うだろう 明治政府というのは、日本史上もっとも日本人切り捨てを行った政府だ 南米へ甘言で移民を募り、事実と違うと困惑する日本 悲惨な環境で病気になり助けを求める日本人達に 「お前たちはもう日本人じゃないから我が国に関係はない」と切り捨てた その上数多の女性を海外に売り飛ばし そのお金で近代化を成し遂げるという、人道無視の手段を つかったことは日本の歴史の教科書にしっかり記載されるべき.

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からゆきさん

から ゆき さん

相当な財産を蓄えて帰って来た「からゆきさん」が建てた家=1972年、熊本・天草下島 「からゆきさん」という言葉をどのくらいの人が知っているだろう。 明治から昭和初期にかけて日本全国から海外に出稼ぎに行った人たちのことだ。 とくに九州の島原半島(長崎県)や天草諸島(熊本県)の出身者が多かったとされている。 この「からゆきさん」という言葉にこだわり続ける人たちがいる。 熊本県天草市大浜町の女性史研究家、大久保美喜子さん(64)と同市五和町の絵本作家、永田有実さん(56)が昨年、自費出版した2冊の絵本の主題は「からゆきさん」。 大久保さんは「天草に生まれて育った女性として、歴史を通して、からゆきさんの真実を子どもたちに伝えたい」との思いを強く抱き続ける。 絵本は、大久保さんのからゆきさん探しの旅をつづった「からゆきに想(おも)いをはせて」(A5判、35ページ)と、小学生以下向けの「気まぐれカラス」(A5判、31ページ)の2冊。 絵本では、貧しさのために学校に通えず、故郷の天草からシンガポールなどに出稼ぎに行かねばならなかった子どもたちとして、からゆきさんを描いた。 「からゆきさん」は「故郷が少女たちを愛し、少女たちもそれを享受した奥深い言葉だ」などとしている。 1972年に出版された作家、山崎朋子さんの「サンダカン八番娼館」は、大宅壮一ノンフィクション賞受賞し、ベストセラーとなった。 「サンダカン八番娼館 望郷」(熊井啓監督)として映画化もされている。 この「サンダカン八番娼館」の中で山崎さんは「からゆきさん」を「外国人に肉体を鬻(ひさ)いだ海外売春婦を意味している」と書き、そのイメージが世間一般に広まった。 大久保さんは「サンダカン八番娼館」がベストセラーとして多くの人に読まれた結果、「からゆきさんイコール海外売春婦」というイメージが一気に広がり、「言葉の意味が誤って世間に認知されてしまった」と主張する。 大久保さんは1991年ごろから二十数年にわたり、からゆきさんが過ごした家や墓地などが残るインドやアフリカなどの11カ国を訪れ、真実に迫ろうと調査を続けた。 ・・・ (残り:約1163文字/本文:約2062文字).

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からゆきさんとは

から ゆき さん

Wikipediaによると、からゆきさんとして海外に渡航した日本人女性の多くは、農村、漁村などの貧しい家庭の娘たちだったそうです。 彼女たちを海外の娼館へと橋渡ししたのは嬪夫(ピンプ)などと呼ばれた斡旋業者、女衒たちで、こうした女衒たちは貧しい農村などをまわって年頃の娘を探し、海外で奉公させるなどといって、その親に現金を渡しました。 女衒たちは彼女たちを売春業者に渡すことで手間賃を得ます。 そうした手間賃を集めたり、投資を受けたりすることによって、みずから海外で娼館の経営に乗り出す者もいたそうです。 こうした日本人女性の海外渡航は、当初世論においても「娘子軍」として喧伝され、明治末期にその最盛期をむかえましたが、国際政治における日本の国勢が盛んになるにつれて、彼女らの存在は「国家の恥」であるとして非難されるようになりました。 1920年の廃娼令とともに海外における日本人娼館も廃止されました。 その多くが日本に帰国しましたが、更生策もなく残留した人もいるそうです。 第二次世界大戦後、からゆきさんの存在は「戦前日本の恥部」として一般に知られることはあまりありませんでしたが、1972年の山崎朋子『サンダカン八番娼館』の出版によって広く知られるようになり、以後、からゆきさんについてのルポルタージュや研究書が続々と出版されました。 からゆきさんの主な渡航先は、中国、香港、フィリピン、ボルネオ、タイ、インドネシアなどアジア各地で、特に当時、アジア各国を殖民支配していた欧米の軍隊からの強い要望があった所へ多く派遣されたそうです。 また、さらに遠くシベリア、満州、ハワイ、北米(カリフォルニアなど)、アフリカ(ザンジバルなど)に渡った日本人女性の例もあります。 からゆきさんとして有名な北川サキさんの、大正中期から昭和前期のボルネオの例では、娼婦の取り分は50%、その内で借金返済分が25%、残りから着物・衣装などの雑費を出すのに、月20人の客を取る必要があっりました。 「返す気になってせっせと働けば、そっでも毎月百円ぐらいずつは返せたよ」ということから、最少で月120人の相手をしていたと予測されます。 普段はさほど客も多くないのですが、港に船が入ったときは、どこの娼館も満員で、一番ひどいときは一晩に30人の客を取ることもあったそうです。 一泊10円、泊まり無しで2円。 客の一人あたりの時間は、3分か5分、それよりかかるときは割り増し料金の規定だったそうです(接待時間ではなく、性交労働時間だったと思われています)。 現地人を客にすることは好まれず、かなり接客拒否ができたと見られています。 しかし、月に一度は死にたくなると感想を語り、どんなに休みたくても休みはなかったそうです。 via: written by パルモ カテゴリー:情報紹介系 エンターテイメントバカネタブログ テーマ:人間観察 人間の心の闇に潜む「七つの大罪」って奴と、正面から向き合ってみるのもたまにはいいんじゃない?毒じゃなきゃ制せない、毒があるかもしれないじゃない?表裏一体で誰もが持っている良い心と悪い心、両方受け入れちゃえたなら、見えてくる何かがあるかもしれないじゃない? ご観覧に関して 1. リンクフリーです。 リンク先のサーバーがメンテ中の時は、動画などが表示されない場合がありますことをご了承願います。 主に海外サイトを紹介しています。 リンク先によっては危険なプログラムが潜んでいる場合もあります。 ザイーガでは独自にウイルスチェックをしておりますが、使っているウイルスソフトにより反応の違いがあるようです。 ご利用は必ず自己責任でお願い致します。 インターネット規制により、犯行予告的なもの、人の生死にかかわるもの、個人情報、第三者を誹謗中傷する書き込み、見ている人に不快感を与える書き込みは削除させていただいております。 同様、記事とはまったく無関係のコメント、サイトや管理人に対する事実とは異なるコメントも削除対象となりますことをご了承願います。 何かご意見がございましたら、メールにてご自分のメールアドレスを添えお問い合わせ願えれば回答いたします。 コメントのIPは全てデータとして保管されております。 書き込まれた内容も下書き状態にして全て保管させていただいておりますことをご了承願います。 当サイトは著作権の侵害を目的とするものではありません。 使用している版権物の知的所有権はそれぞれの著作者・団体に帰属しております。 著作権や肖像権に関して問題がありましたら御連絡下さい。 著作権所有者様からの警告及び修正・撤去のご連絡があった場合は迅速に対処または削除いたします。

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