えんほう相撲。 イケメン炎鵬の出身高校大学は?昔と現在の相撲経歴まとめ【画像】

炎鵬(えんほう)の身長体重や出身校は?家族や白鵬との関係についても調査!│地球の裏側からご近所まで

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炎鵬 えんほう の兄弟は?画像はある? イケメン力士として大人気の炎鵬。 小柄な体で大きな相手力士を投げ飛ばす姿に興奮しながら応援してる人も多いと思います。 そんな炎鵬に兄弟がいます。 イケメン炎鵬なので、兄弟もかっこいいのではないか・・?と非常に気になりますよね・・! 炎鵬は2人兄弟でお兄さんがいるそうです。 炎鵬のお兄さんも相撲をされていて、炎鵬が相撲を始めたきっかけはお兄さんからの影響だそうです! お兄さんは 炎鵬と比べてもかなり体が大きいですね! 実はお兄さんも相撲がかなり強かったようで、金沢学院東高校から金沢学院大学に進学して、相撲部で活躍をされていたそうです。 そして、 炎鵬も兄の後を追って、同じ金沢学院東高校と金沢学院大学へと進学し、同じ相撲部で一緒に汗も流していたとか。 お兄さんも相当相撲が強かったとの話なので、もしお兄さんも相撲界へ入っていたら若貴兄弟のように、兄弟そろって人気力士になっていたかもしれませんね・・! そんな お兄さんの現在は何をしてるのか?相撲に携わっているのか?と気になり調べてみたところ、、 どうやら炎鵬の お兄さんは、現在は北國新聞社に勤めているそうです。 道は違えど、兄に憧れて相撲を始めた炎鵬。 きっと今の炎鵬の活躍の裏には、お兄さんの存在も大きかったんでしょうね! お兄さんの現在は北國新聞社とのことなので、きっと炎鵬の活躍を地元の新聞社として大きく報じているんでしょうね^^ お兄さんからしても、炎鵬さんは誇らしい弟ですよね! 炎鵬 えんほう の兄弟以外の実家両親は?職業や画像は? 炎鵬の兄弟について調べてみましたが、炎鵬のご両親についても気になりますよね! 炎鵬の実家の家族構成を改めて調べてみると、• 父親:中村 進さん• 母親:中村由美子さん• 兄:中村文哉さん の4人家族だと分かりました。 炎鵬のご実家の父親の職業も調べてみたところ、何と、 父親も兄と同じく北國新聞社に勤めていることが分かりました! 炎鵬の父親と兄は同じ職場だったんですね! 父親も兄も地元の新聞社にいるなんて、、 きっと、金沢の英雄が大活躍しているさまを大きな記事で取り上げていらっしゃるんでしょうね^^ 母親の由美子さんは主婦をされている方だそうです^^ 炎鵬 えんほう 兄弟の幼少期は? 炎鵬が兄の影響を受けて相撲を始めたことをお伝えしましたが、 兄は幼少期から体が大きな少年だったそうです。 一方で、 炎鵬は子供の頃から体が小さく、地元の押野相撲スポーツ少年団でもまわりの子供たちより2まわりも小さな体だったそうですよ! それでも 「大きい子を倒すのが楽しかった!」と語っていた炎鵬。 体こそ小さくても、活発で元気も良く、また運動神経や相撲のセンスも並外れたものを持っていたことが伺えますよね! ちなみに炎鵬は 子供の頃は アイスクリームが大好きだったそうで、1日にアイスバーを5本も食べていたとか・・!! 朝ごはんもアイスクリームにするほどだったそうですよ(笑) 炎鵬というと、白米が嫌い、グミが嫌い、グリーンピースが嫌い、と好き嫌いがけっこうあるイメージがありますが、アイスクリームは大好きだったんですね^^ 炎鵬 えんほう 兄弟の学歴は?学生時代の成績も! 先ほど炎鵬とお兄さんの進学した学校をお伝えしましたが、改めて炎鵬の高校や大学など、学生時代の成績を振り返ってみます。 炎鵬の出身中学と高校、大学は、• 出身中学校:金沢市立西南部中学校• 出身高校:金沢学院東高校• 出身大学:金沢学院大学人間健康学部スポーツ健康学科 まずは中学時代の成績から見ていきます! 炎鵬はあんなに小柄な体格ではありますが、 中学3年生の時には全国都道府県中学生相撲選手権大会で石川県代表として団体優勝も果たしています・・! 小柄な炎鵬でしたが、中学生の時は厳しい稽古に、食事管理(ちゃんこ3杯、米3杯を毎日!)で、体を作る努力を続けていたそうです。 それにしても中学時代からすごい経歴ですね!やっぱり炎鵬、運動神経が相当なものなんでしょうね。。 小学生時代には相撲のほかに水球のキーパーもされていたそうですよ。 中学時代にすごい成績を残した炎鵬は、高校は兄と同じ金沢学院東高校へと進学します。 金沢学院東高校は相撲の名門高校ですが、高校時代にも炎鵬はすごい成績を残しています。 高校時代の成績としては、 3年生の時に、全日本ジュニア体重別選手権80㎏未満級優勝、世界ジュニア選手権軽量級優勝と、 世界大会でも優勝をしています・・ このころには地元では超有名人になっていたという炎鵬。 高校時代もやっぱり小柄な炎鵬は、稽古でぶつかる相手はいつも自分よりもすごく大きな相手ばかり。 そのため、高校時代に優勝した、軽量級の大会では無敵状態だったという逸話も残しています。 そして、 大学は金沢学院大学人間健康学部スポーツ健康学科に進学し、• 1年生:西日本学生相撲新人選手権大会で優勝• 2年生:世界相撲選手権大会の軽量級優勝• 3年生:世界相撲選手権大会の軽量級優勝(2連覇) などすごい成績をおさめ、タイトルを全部で10個以上獲得したそうです・・ 目覚ましい活躍をしていた炎鵬。 その後、炎鵬は大学時代に一度就職活動に入ります。 炎鵬 えんほう の相撲入りに実家両親や兄弟は?入門後の経歴も! 中学からのものすごい経歴を見てきたので、てっきり迷いなく相撲の道を選んだのかと思いきや、 実は炎鵬、学生時代の良い成績は軽量級ということもあり、 「自分は相撲界に通用するとは思わなかった」 と、大学卒業後に相撲の道に進むかを迷っていたそうです。 ですが、就職活動をしていた時に小松精練の面接で「経歴がすごいんだから相撲をしたほうがいい」と勧められたことや、 偶然白鵬のマネージャーから声がかかり宮城野部屋に稽古見学に訪れたことで、相撲界へ進むことを決意します。 というのも実は炎鵬は、 昔から 白鵬の大ファンで、白鵬のいる宮城野部屋を見学し、白鵬から直接声をかけてもらったこともあり、 金沢学院大学を卒業後、 平成29年3月に相撲界へ入門します。 そして、 初土俵となった2017年3月場所では、前相撲を取って一番出世をはたします。 そして、翌5月では序ノ口、7月を序二段、9月を三段目とすべての場所を全勝優勝で通過・・! 2018年3月には初土俵から所要6場所というスピードで、十両に昇進してしまいました・・! 炎鵬のこの記録は 史上最速タイという素晴らしいものでした・・! 炎鵬、すごいですね・・ 一時期は負け越して「幕下」に降格してしまった時期もありましたが、2018年9月場所で見事「十両」に復帰、2019年5月場所で「新入幕」まで果たしています。 相手選手によっては二回り近く体の大きさが違うようにも見える炎鵬が、見事に相手を倒すところなど、見ていて本当に爽快ですよね! 昔から自分より大きい人を倒すのが気持ちよかったと語る炎鵬。 「相撲を取って怖いと思ったのは、入門した頃に部屋の横綱である白鵬と相撲取った時だけである。 「炎鵬」は憧れの人白鵬が名付けてくれたものですが、「晃」は炎鵬自身が選んだ言葉です。 この 「晃」というのは、炎鵬が幼少期から相撲で一緒に競っていた先輩「北晃さん」からとったそうです。 炎鵬が慕っていた北晃さんは炎鵬さんが中学2年生の時にオートバイの事故で若くして亡くなってしまったそう。 炎鵬にとって相撲を教えてくれた、憧れの先輩でもある北晃さん。 憧れの先輩を忘れない、先輩の分まで相撲界で頑張るそんな炎鵬の温かい思いを感じました。 炎鵬と白鵬には兄弟以上の絆? 炎鵬の四股名には炎鵬が兄のように慕っていた先輩の名前が入っていることが分かりましたが、「炎鵬」という名前は白鵬がつけてくれた名前です。 白鵬が「炎鵬」という名前を付けた理由には 「上にいくと身体の差がある。 そこを勝ち抜いていくために気持ちで負けないで、常に燃えていくこと。 それで炎鵬にしました。 炎って珍しいでしょ。 」 という思いと込めているそう。 元々相撲界入りを迷っていた炎鵬に声をかけた白鵬。 炎鵬に対する期待も高いようで、炎鵬が十両昇進した時には、「5月場所までに110㎏に増やせ!」と増量命令も出したそうです。 やはり小柄な炎鵬がもっと上へ行くためには体重を増やすこと、体を大きくすることが必須なんでしょう。 白鵬のこの言葉は炎鵬なら上に行ける!という確信があるからこその言葉のようにも感じます。 実は 炎鵬はすごく小食力士としても知られています。 それでも憧れの白鵬から大相撲へ誘ってもらい、四股名までつけてもらい、増量命令まで出してもらい、、、 自分にとってのヒーローからそこまでされてしまったら、、頑張るしかないですよね・・そんな思いで炎鵬は日々稽古だけじゃなくて食事管理にも取り組んでいるそうです。 炎鵬は白鵬の内弟子にも当たると言われています。 内弟子というと、白鵬が将来的に親方として独立した時には同じ部屋に行くということですよね。 そんなことを考えると、炎鵬にとって白鵬は憧れの存在というだけじゃなくて、本当に兄弟以上の深い絆で結ばれているんだと思いました。 炎鵬の人気が止まらない!イケメン画像や動画が話題! とにかく大人気の炎鵬。 力士として土俵の上での姿はもちろんですが、テレビのバラエティ番組でも大人気ですよね。 そんな炎鵬のイケメン画像を集めてみました。 そんな炎鵬のこれからの活躍からも目が離せません! 炎鵬 えんほう プロフィール 四股名:炎鵬 晃(えんほう・あきら) 本名:中村 友哉(なかむら・ゆうや) 生年月日:平成6年10月18日(24才) 出身地:石川県金沢市 身長:169㎝ 体重:99㎏ 出身校:金沢学院東高ー金沢学院大学 所属部屋:宮城野部屋 好きな色:緑 趣味:寝ること 好きな食べ物:牡蠣、ウニ、アワビ 嫌いな食べ物:白米、グミ、レーズン、グリンピース、つぶあん あだ名:ユウヤ、ユウタン、ふんどし王子(高校時代)、ひねり王子(入門後) 公式ページ: 炎鵬 えんほう の兄弟の現在が話題?実家両親との関係も詳しく!まとめ 今回はイケメン力士として人気の炎鵬さんについて調べてみました! 炎鵬さんのご実家は石川県にあり、家族構成は、父親、母親、兄弟(兄1人)ということが分かりました。 実家の兄の影響で相撲を始めたという炎鵬さん。 現在、兄は地元の新聞社に勤めていることも分かりました。 実家の父親も同じ新聞社ということなので、きっと地元のスター炎鵬さんを、街をあげて応援しているんでしょうね^^ イケメン力士としてテレビにも引っ張りだこの炎鵬さん。 これからも応援していきたいと思います!.

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炎鵬 晃 力士情報

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土俵際、もはや絶体絶命。 私はただなす術もなく押し込まれる。 勝ち目のない勝負は諦めるのが賢明だ。 しかしそんな考え方は馬鹿げている。 今こそ自分を貫く時だ。 誰とも違う発想や工夫を駆使して戦え。 小さなものでも大きな相手に立ち向かえ。 それでも人々は無責任に言うだろう。 どうせ奇跡は起こらない。 わたしはその言葉を信じない。 大逆転は起こりうる。 同じ文章でもここまで違うなんて、文章とはすごいものだと思います。 「ひっくりかえせ」の意味が色々な意味にとれてとても深く感じられます。 炎鵬といえばとても体の小さい力士ですが、様々な工夫を凝らしてとても見ごたえのある相撲を取る力士としても有名です。 そこで炎鵬のプロフィールや経歴を見ていきましょう。 炎鵬のプロフィール 今回の広告モデルは なのね〜可愛いわ — けいけい keikeidoradora• 名前:炎鵬晃(えんほうあきら)• 本名:中村友哉• 生年月日:1994年10月18日• 出身地:石川県• 身長:168㎝• 体重:99㎏• 血液型:AB型• 大きな体の友達に相撲で勝ったことをきっかけに炎鵬の相撲人生は始まりました。 その後中学・高校・大学と相撲を続けて、就職活動をしている時に応募先からも相撲界入りを勧められたこともあって、卒業後に白鵬の内弟子として宮城野部屋に入門しました。 小さい体の力士でありながらも、初土俵では一番出世となったのです。 やはり素晴らしい才能の持ち主ですね。 その後もスピード出世を果たして今では角界では名物力士の1人となっています。 取り口としては「ひねり王子」という愛称で呼ばれるほど、捻りが得意であり、左右の区別なく捻りを繰り出します。 そして体は小さいながら相手に圧力をかけながら前に出る相撲を取ることで有名です。 身長167㎝という本当に小さい体ながらここまでの活躍をするには才能とものすごい努力と工夫があったに違いありません。 炎鵬が土俵に上がるととても闘志あふれていて盛り上がり、そのパフォーマンスでもとても存在感があります。 そんな炎鵬だからこと今回のCMがピッタリだったのではないでしょうか。 まとめ 今回は小さな力士炎鵬の出演する西武・そごうのCMについてご紹介してきました。 とても印象に残るCMでとても話題になっています。 例え条件が悪くても「自分は自分」と思って淡々と前へ進む炎鵬のように私たちも頑張れるといいですね。 今回は以上となります。 最後までお読みいただきありがとうございました。

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炎鵬晃

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来歴 [ ] の父、兄1人と姉1人の3人きょうだいの末っ子として誕生した。 生まれた頃には普通の体格だったが幼稚園時代には「これ以上大きくなったら、制服がなくなる」と言われ、既成の制服の最大サイズがきつくなっても着ているほどであった。 七尾市立石崎小学校1年生の頃から相撲を始めており、同じ穴水少年相撲教室の門下生であったの4学年後輩にあたる。 小学校卒業後はへ入学したが、これは相撲を続けるために親元を離れて相撲部のある中学校に進学したという形であった。 とは同じ中学校の同期である。 中学1年次には183cm、108kgに成長。 2009年全国都道府県中学生選手権の団体と個人を制した。 2年生の時の新人戦で個人優勝したが、これは急に祖母が死去した中での出来事であり、優勝を決めた際に達は大泣きしていたと伝わる。 2010年3月6日の新弟子検査で193cm、145kgを記録し、大物ルーキーとして将来を期待され、達本人は入門直後に「7~8年でになりたい」と力強く言い切った。 足のサイズもこの時点で32cmに達しており、通販でないと靴が手に入らなかった。 強豪校からの勧誘のあるなか「1日も早く横綱になりたい」と入門し、を控えた時期には部屋の稽古場で力士と互角に渡り合い 、師匠の高田川親方は「しこ、てっぽうの音が違う。 骨から出している」と評した。 2010年3月場所で初土俵を踏み、前相撲でのデビュー戦で圧勝し 、そのまま所要8場所で幕下に昇進。 2012年1月場所はと6勝1敗同士で優勝決定戦を行うも敗れてしまい、初の各段優勝とはならなかった。 同年9月には西幕下11枚目まで最高位を更新するが、それから1年余りは概ね幕下中位から下位を推移するなど足踏みを余儀なくされた。 幕下で3年間足踏みしていた時期については十両昇進が確実となった時に「自分は関取になれないんじゃないかと思った」と達は語っている。 3場所連続で負け越した際にはその内2場所で給金相撲を連続で落として負け越したこともあって「このまま一生勝ち越せないんじゃないか」と自棄になることもあった が、高田川から初心に戻るよう助言を受け、基本運動を徹底的に繰り返したことで立ち直った。 その後2014年5月場所は西幕下9枚目まで最高位を更新して4勝3敗、続く7月場所はさらに東幕下7枚目まで地位を上げて5勝2敗とした。 翌9月場所は西幕下3枚目の地位で土俵に上がり、この場所の7番相撲で十両残留をかけていたから白星を挙げて4勝3敗として場所を終えた。 2014年9月場所後の番付編成会議ではこの成績が評価されて達の11月場所での新十両昇進が決定した。 達は十両昇進と同時に四股名を 輝 大士へと改名した。 輝の名は、に地元石川県まで延伸開業するで、とを結ぶ最速列車として設定される「」に因んでおり 、「大士」は親戚である元横綱のにあやかった。 輪島の下の名は「ひろし」と読むが 、高田川親方は「たいし」と読むと勘違いしており、輪島本人に報告した際にもその指摘がなかったため高田川親方がそのまま届けを出し、四股名は「たいし」となった。 石川県からの新十両は、2013年7月場所の以来戦後17人目。 この場所は11日目に勝ち越しを果たすなど好調であり、場所を10勝5敗の好成績で終えた。 2015年は丸1年間十両に定着したが、少しずつ番付を上昇させて1月場所で新入幕を果たした。 漢字一文字の四股名を持つ力士としては、3月場所で新入幕を果たした以来、4年ぶり。 この場所は負け越して1場所で十両へ陥落した。 しかし、7月場所で再入幕を果たし、幕内3場所目となる翌9月場所で初めて勝ち越した。 2017年の目標は「幕内での2ケタ白星」「三役昇進」。 2017年1月場所は8勝7敗で終えたが、高田川は翌3月場所前に「先場所は12番は勝てたはず。 負けたけれどいい相撲だったし"いい負け"にしていかなきゃいけない。 これからの相撲人生が長いんだ。 今、安易に勝ちに行ってしまうと向上心がなくなり、努力しなくなる。 『もっと稽古しよう』と思わなくなる。 『一場所でも長くとればいいや』という力士じゃない。 輝は目指しているところが違うんだから」とコメントした。 2017年3月場所からは、横綱・のでのとなるを務めている。 2017年7月場所からは、の昇進に伴い、横綱・稀勢の里の横綱土俵入りで、、露払いを務めることとなる。 5月場所では東前頭筆頭から東前頭5枚目にかけて勝ち越した力士が皆無であり平幕上位に昇進枠があったため、幸運にも5枚上昇の西前頭4枚目の地位を与えられた。 この場所は5勝10敗に終わったが、9月場所は幕内1桁台後半にとどまる星の力士が少なかったため、幸運にも2枚下降の西前頭6枚目で踏みとどまった。 10月15日の秋巡業金沢場所では凱旋を果たし、午前7時半から握手会を2回も行い、昼過ぎからは髪結い実演。 さらに土俵入り後には人気の幕内・(宮城野)と番外取組まで行った。 朝稽古として行ったぶつかり稽古では、この日から巡業に合流した横綱・から指名される形で約6分間白鵬の胸を借りた。 輝は「『腰を下ろせ、背中を丸めろ』と言われました。 必死であまり覚えてないんですけど」と恐縮気味 この日は朝からの一日暴力団排除対策官も務めた。 人気力士の遠藤が休場した中、輝が一層輝きを増した1日となった。 輝は「秋場所は負け越したので、地元の声援は本当にありがたかったです。 九州場所では番付が下がりますが、また上位に戻れるように頑張ります」と決意していた。 しかし、翌11月場所は序盤は3勝1敗とまずまずのスタートだったが、6勝4敗の11日目から4連敗で負け越しが決定した。 千秋楽は遠藤を一気に押し出し、連敗を4で止めて7勝8敗とした。 2018年1月場所は中日の時点で4勝4敗と一進一退であったが、後半に星が伸びて13日目に勝ち越しを確定させた。 最終的には9勝6敗の勝ち越しで、この場所新入幕の兄弟子・と揃って高田川部屋の幕内力士は2人全員勝ち越した格好となった。 翌3月場所は一進一退の末14日目に負け越しが決定し、7勝8敗で終えた。 5月場所は西前頭8枚目で迎え、6勝5敗の12日目から3連勝。 13日目に勝ち越しを決め、9勝5敗で千秋楽を迎えたが、この場所敢闘賞を受賞した千代の国の突き落としにバッタリ。 9勝6敗だった。 同年7月場所は上位総当たりの場所となったが、3横綱が全員休場したため横綱とは顔が合わなかった。 高安、豪栄道の2大関と対戦するも両方に敗れ、三役以上には小結の松鳳山にしか勝てず、6勝9敗と上位の壁に阻まれた。 翌9月場所は東前頭6枚目の地位を与えられた。 この場所は2勝5敗の8日目から4連勝して白星を先行させたが、終盤に失速し、7勝8敗と2場所連続の負け越し。 幸運にも半枚下降にとどまった11月場所は、場所を通して波に乗れず、11日目に負け越し。 その後もなかなか白星に恵まれず、5勝10敗の大敗を喫した。 2019年1月場所を6勝9敗で終えて自己ワーストとなる4場所連続負け越しを記録するも、3月場所は12日目に琴恵光を寄り切りで破って勝ち越しを確定させ、5場所ぶりとなる。 勝ち越しに際して「落ち着いている。 稽古をするしかないと思ってやっている。 それが全て」とコメントを残した。 この場所は9勝6敗で取り終えた。 しかし、東前頭10枚目の5月場所は序盤から不振で、10日目に德勝龍に押し出されて早くも向こう給金が決定。 その後はやや巻き返したが、5勝10敗の大敗を喫した。 西前頭12枚目の7月場所も一進一退の末、7勝7敗で千秋楽に同じく7勝7敗の隠岐の海と対戦したが、寄り切りで敗れて2場所連続の負け越し。 東前頭13枚目で迎えた9月場所は場所を通して不調で、6勝9敗と3場所連続の負け越し。 10月5日の秋巡業七尾場所では8日の輪島の一周忌を控え、責任感を持って相撲を取った。 御当地の大歓声を浴び、平幕の碧山、松鳳山らと計11番取って7勝。 西前頭13枚目と幸運にも半枚下降にとどまった11月場所は、4日目までは2勝2敗の五分の星だったが、翌日は対戦相手の若隆景が休場したため不戦勝となり、これを皮切りに5連勝。 優勝争いにも加わろうかという勢いだったが、翌10日目に照強に押し出しで敗れて優勝争いからは後退した。 それでも、翌11日目は気持ちを切り替え、剣翔を電車道で持って行って4場所ぶりの勝ち越しを決めた。 12日目・13日目と連敗したが、14日目は豊山を押し出して9勝目を挙げ、千秋楽も松鳳山を一方的に押し出し、幕内では自身初となる2桁勝利を挙げて1年を締め括った。 12月24日に発表された2020年1月場所番付では、番付運に恵まれず西前頭11枚目と2枚の上昇に留まった。 2020年の目標は「三役、金星、優勝」 の三つを挙げた。 その1月場所は5連勝スタート・2連敗・4連勝・3連敗と、の様相を呈する星並びで、迎えた千秋楽は技能賞候補に挙がっていた炎鵬を押し出し、10勝5敗と2場所連続の2桁勝利を挙げた。 輝自身は「うれしい」としながらも、終盤の3連敗で優勝争いから脱落したこともあり「もっと突き詰めて勝っていけるように」と気を引き直していた。 尚、この場所では兄弟子の竜電も、西前頭8枚目で10勝5敗と2桁勝利を挙げている。 取り口など [ ] 基本的に長身とリーチを生かした突き押しを行い、左のおっつけも交えて低く当たって相手を土俵外へ出すのが輝の相撲での良いパターンである。 十両昇進時の報道によると師匠は「器用だからまわしを取ってもいい。 立ち合いの当たりをもっと強くして、ぶっ飛ばして突くもよし、差すもよしとなれば、相手も相当怖いはず」と話している。 しかし体質なのか体に張りが欠けており、35代木村庄之助からはその点を指摘されている。 2016年11月場所前の座談会ではが「突き押しだけだと腕も伸びなくてなかなか幕内では通用しないけど、先場所(同年9月場所)は突っ張りで相手を起こして中に入る相撲が多かったので、勝ち越しにつながったと思います」と話している。 2017年1月場所前にお笑い芸人を集めて行われた座談会でははなわから腰高を指摘されている。 2016年後半にかけては両差しの相撲も見せている。 2017年のインタビューでは立合いで当たり負けをしないが前半戦で出遅れることを自ら話している。 同年7月場所3日目の宇良戦を終えた後の支度部屋では「しっかり当たっていこうと思った。 相手はもぐってくるんで、それを警戒した。 先場所はそれで負けているんで」と自身の取り口や弱点を分析していると言えなくもないコメントを残している。 2017年9月場所前の座談会では西岩(元関脇・若の里)が「あの腰高は直らないんじゃないですか(笑)だから、腰高を直すというよりも、あの長い腕を利用して体も大きいですし、曙さんのように突っ張ったり、まわしを取っても体力で圧倒するような相撲を取ったらいいと思います」と話しており、舞の海も「一つ、これだというものをつかんだら化けるんじゃないですか。 突っ張ってからパッと上手を取って、かいなを返して寄っていくような相撲が身についたら自信もついてきて、そしたら一気に駆け上がっていくような気がします」と評している。 非常に稽古熱心な力士であり、2017年11月の記事によると、場所中でも夜のちゃんこを食べ終えると、席を立って稽古場に足を運んで、四股、すり足、鉄砲、その日の取組で上手く行かなかった点の確認などを行う。 2016年1月場所から始めた習慣であり徐々に部屋でも追随する力士が増えたが、食事に同席している後援者はこれに驚くという。 エピソード [ ]• 輝は若の里の付き人を行っていた際の思い出を「若関は、『力士は、その土地土地のうまいものをたらふく食べて名産物や味を覚えるのも大事なんだぞ。 食え、食え! 』といつも腹いっぱい食べさせてくれていたんですよ。 ある日、酔っ払って、『いつか、自分の付け人が関取になって巡業で一緒にメシを食い、奢ってもらうのが夢なんだよなぁ』と言っていたことがあったんです。 『自分が関取になったら、若関をお誘いしてご馳走しよう』と、ずっと心に決めていました」と語ったことがある。 2015年3月場所後の春巡業で、「静岡で時間を作ってもらえませんか。 今までのお礼を込めて僕にご馳走させてください。 」と申し入れ、若の里も喜んだが、膝の治療で巡業を途中休場したため実現しなかった。 2015年8月15日夜、実際に輝は若の里に食事を奢ろうと、初めて付き人として食事に誘ってもらった仙台の専門店を選んだ。 実際には奢ったわけではないが「俺が昔に言ったことを覚えていて、声を掛けてくれただけで、それだけで嬉しいんだよ。 待ってた言葉だ。 それで十分だ。 本気でお前に金を出してもらおうなんて思ってないから。 ほら、達、今日は腹いっぱい食え! 」と若の里は言った。 若の里の現役最後の巡業では、3週間の巡業期間中、毎日若の里の隣に明け荷を置いて、若の里の帯を引っ張ったり、浴衣を着せた。 青森県野辺地巡業では、「最後だから、僕に締込を引っ張らせて下さい。 」と志願し、若の里現役最後の締込を締めた。 巡業が終わって数日後、同じく若の里の付け人をしていた大由志と一緒に、若の里を呼び出し、アルマーニのネクタイとマグナーニの靴をプレゼントした。 2017年3月場所初日、稀勢の里の土俵入りで露払いを務めたが、土俵を下りる際、通常左回りになるところを右回りとなり、正面に尻を向けてしまった。 (間違いには)終わってから気づいた」と恐縮した。 2016年11月場所では3日目、勢との漢字一文字同士の対決が初めて実現したが、結果は勢のすくい投げで敗れた。 2017年5月場所の10日目、勢との漢字一文字同士の対決が再び実現。 しかしまたしても敗れ、はたき込まれた。 2017年9月場所の2日目、勢との漢字一文字同士の3度目の対決が実現。 一方的に勢に押し出され、一文字対決は3連敗に終わった。 2018年3月場所の11日目、勢との漢字一文字同士の4度目の対決。 またしても敗れ初顔から4連敗。 一方的に勢に寄り切られた。 2018年5月場所の8日目、勢との漢字一文字同士の5度目の対決。 2度目のすくい投げで勢にまたしても敗れ、5連敗。 2018年11月場所の7日目、勢との一文字同士の6度目の対決で、押し出して初めて勢に勝った。 幼少期は夏になるとやを取って楽しんでいたが、は苦手であった。 2017年夏巡業中、輝は「音がうるさいし、小便をかけられるんです。 だから大嫌いでした」と当時を振り返っている。 ただ、抜け殻は大丈夫。 「そういえば、名古屋場所後の休みにテッポウ柱を見たら、セミの抜け殻がついていました」と夏巡業中に語っている。 高田川部屋では習わしによってサインは崩して書いてはならないという。 輝も崩さずにサインを書いている。 記者会見が苦手。 2017年10月14日の秋巡業金沢場所で、遠藤がいないため午後の記者会見がなくなったと聞いて輝はほっとした。 2019年1月場所7日目の戦は「金の締め込み」対決として話題となった。 2020年5月13日にによる多臓器不全で兄弟子であるが死去。 6月1日に相撲協会を通じ、「10年間、共に頑張ってきた仲間であり、頼りになる兄の様な存在でした」と偲ぶコメントを出している。 主な成績 [ ] 2020年3月場所終了現在 通算成績 [ ]• 通算成績:355勝322敗(60場所)• 達 綾哉(たつ りょうや)2010年3月場所 - 2014年9月場所• 輝 大士(かがやき たいし)2014年11月場所 - 脚注 [ ]• com 2010年3月7日9時44分 紙面から• com 2010年3月16日8時51分 紙面から• 『大相撲ジャーナル』2017年5月号53ページ• 『大相撲ジャーナル』2014年12月号80頁には「ここまでのスローペースから脱し、最速のペースで出世街道を駆け上がってほしい」という願いが四股名に込められていることが記されている。 北國新聞 2014年10月1日(2014年10月1日閲覧)• 輪島の本名は「博」(ひろし)で別の漢字を当て四股名を『輪島大士(わじま・ひろし)』としていた。 nikkansports. com 2014年11月19日16時20分• 『大相撲ジャーナル』2017年12月号p12• 2017年10月15日8時0分 スポーツ報知(2017年11月5日閲覧)• 『大相撲中継』2017年11月18日号 p110• 『大相撲中継』2017年11月18日号 p20• SANSPO. COM 2019. 21 19:52(産経新聞社、2019年3月22日閲覧)• 日刊スポーツ 2019年10月5日17時23分(2019年10月7日閲覧)• 2020年1月12日 8時0分スポーツ報知(2020年1月16日閲覧)• スポーツ報知 2020. 27 08:00(報知新聞社、2020年1月28日閲覧)• 『大相撲ジャーナル』2017年8月号 p29• 『大相撲ジャーナル』2016年10月号75ページ• 『大相撲ジャーナル』2016年12月号70ページ• 『大相撲ジャーナル』2016年12月号72ページ• 『大相撲中継』2017年8月12日号 p31• 『大相撲中継』2017年9月16日号 p20• 大空出版『相撲ファン』vol. 06 p12-17• 西岩忍 2016年5月30日. 若の里自伝 たたき上げ. 大空出版• 西岩忍 2016年5月30日. 若の里自伝 たたき上げ. 大空出版• 西岩忍 2016年5月30日. 若の里自伝 たたき上げ. 大空出版• SANSPO. COM 2017. 13 05:01• 日刊スポーツ(2017年8月15日閲覧)• 日刊スポーツ(日刊スポーツ新聞社)2016年11月25日7時29分 紙面から(2017年8月23日閲覧)• 『大相撲中継』2017年11月18日号 p110• 2020年5月15日 8時0分スポーツ報知 2020年5月25日閲覧• nikkansports. com 2020年6月1日. 2020年6月7日閲覧。 決定戦で琴禮と対戦• 無観客開催 関連項目 [ ]• - 四股名の由来となった、の最速列車。 外部リンク [ ]• - 日本相撲協会• - 相撲レファレンス•

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